同僚と話をしてもなぜかピンとこないのは、心の準備ができているから。

今日は職場の後輩と食事へ。

8年半の間、唯一気のおけない同僚だったため、

それなりに寂しさがあります。

 

職場や仕事に関して寂しさはさほどありませんが、

同僚に対して少し寂しいと感じるのは、不思議な感覚です。

 

しかし、昨年の暮れの時期を境に、後輩と会話をしていると、

徐々に話の話題や方向性、興味が異なっている事に気付きました。

 

通常の場合、職場での同僚との会話って、ストレス発散になるんですが。。。

 

会話をしていて、何やら自分の中の感覚が、以前と異なります。

実はこういった感覚は、職場が変わる際に以前も経験していました。

 

かつての同僚と話がはずまない

金融機関を退職して税理士業界へ転職した後も、

気が合う同期とは、お互いの仕事帰りに飲みに行ったりしていました。

 

退職して暫くしてから、勤務していた支店の支店長、次長や同僚と、

何回か宴会の席に呼ばれた事もありました。

 

僕は金融機関の仕事内容が、どうしても自分に合いませんでしたが、

同僚や職場の上司にはかなり恵まれていました。

 

しかし宴会の席に呼ばれても、何だか彼らの話を楽しむことが出来ません。

また、気が合う同期と会話をしていても、以前のようにあまり興味がありません。

 

暫くモンモンとしていて、「きっと僕が疲れているだけなのでは?」

と感じていましたが、僕と同様に銀行を退職した同期から、その理由を告げられます。

 

「彼らとはすでに目標をするところが違うから。」

 

心の準備ができているか

自分で目標をもって突き進むって、大変な決意ですよね?

 

小学校や中学校、高校では、進学先は異なるにせよ、

クラスという母集団の中で、「進学」というわかりやすい目標があります。

 

大学でもゆく先は異なっても、「就職」という大きな目標があります。

 

目標や目的を共有する人がいる事が、どれほど心強い事なのか、

大きな母集団の中にいた僕は、気づくことができませんでした。

 

当時はまだ受験生であり、職場に受験生はいなく、1人で勉強をしていたため、

自分の目標が何だったのか、よくわからなくなることがありました。

 

それでも日々刻々と月日は確実に経過していき、

その目標は例え1人であれ、自分で見出さなくてはいけないことに気付きます。

 

 

かつて自分が在籍した集団の会話にピンとこないという事は、

自分の目標や目的が、今明らかに異なる証拠なのだと感じます。

 

同僚との会話にピンとこないことは、少し寂しいような気もします。

しかし、おそらくそれは良い傾向なのだと感じます。

 

知らず知らずのうちに、自分の中の意識が自分が目標とする将来へ向いており、

ようやくスタートを切ろうとしている心づもりが、出来ている証拠なのだと思います。

 

自分がその集団とは、別の道を選択した意識の表れのように感じます。

 

そうはいっても、心仲がよくなった人と疎遠になる寂しさはあります。

ただ20年前であれば、連絡手段は電話のみでしたが、

現在はSNSを利用すれば、容易に繋がりを保てます。

 

人的な寂しさは、それ程重大ではないのかもしれません。

まとめ

もうすぐ県外へ引っ越し!

という時になって、ここ数週間の間、何年も会わなかった友人や、以前の職場の同僚と、

街中や道端、電車の中やモールなどで、バッタリ出くわす事がなぜか頻繁にあります。

 

本日はカフェで大学時代のバイトをしてた時の同僚と、

14年ぶりにバッタリ会いました。

 

偶然なのか、何かの縁があるのか分かりませんが、

1つ思う事は、人生いろいろなんだなあと感じます。

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