僕が「この人には敵わない」と感じる人

小学校の時、しばしば自宅から花を持ってくる人がいました。

先生から強制されたわけではなく、自発的に花を持参する人って、

僕が小学生と時には各クラスに、少なからず何名かいました。

 

子供ながら、この人に敵わないと感じました。

ここ最近も、自分が敵わないと思う光景を目にしました。

 

不特定多数の人が集合する空港に、無造作に配置されたピアノ。

短パン、ビーサン、Tシャツで軽やかな音色を奏でるオッサンには、敵うはずがありません。

 

台東空港のストリートピアノ

8月の旅行中、台東空港を利用した際に、ピアノの音色が聞こえました。

まだ朝の7時だったので、そんな時間の演奏に驚きましたが、

空港内に配置されたピアノを、短パン、ビーサン、Tシャツのオッサンが引いていました。

 

結構な腕前で、そのユルイ姿と美しい音色のアンバランスに心を盗られました。

 

僕はピアノが弾けたとしても、不特定多数の人前で弾いたりしないでしょう。

まして、自分の腕前を他人に醸す事なんて。。。

 

だから堂々とピアノを奏でるその光景に、すっかり圧倒されました。

当事者も自由だが傍観者も自由だ

今までストリートピアノを見たことがありませんでした。

街角に置かれたピアノを、自由に弾いてもいいってやつです。

 

よくテレビでみる事があり、サラッと人まで演奏する事は、どんな神経の持ち主か?

実は羨ましくもありました。

 

公衆の面前で音を発する事って、嫌でも目立ちますよね。

それをいとも簡単に、自分を表現するなんて

僕には到底敵わないと感じました。

 

ええ、台東空港ではオッサンが自由気ままにピアノを奏でました。

しかし、台東空港での演奏中、よくよく周囲を眺めると、

だれも演奏者を見ていません、聞いているような雰囲気もなし。

 

空港職員も搭乗待ちの人も、ピアノよりも朝飯に忙しい様子。

そして流れる流れるピアノの音色が流れる。

 

演奏者はただひたすら音色を奏でます。

演奏が終わると演奏中と同じ表情で、さっさとどこかへ消えてしまいました。

 

たかだか10分から15分程度の時間でしたが、そのあまりに自由で堂々した空間は、

予定調和ではなく、適切な均衡が保たれていました。

同時に、日本での生きにくさを再確認させられます。

見た目で判断なんて愚かで幼い

普段生活を送っていると、「見た目がイヤ」、「顔つきが嫌い」、

「雰囲気が嫌い」といった、見た目だけで判断する人が多くいます。

 

恋愛対象の相手を選出するのであれば、それでもいのでしょう。

(しかし、嫌いと感じた相手ほど、後々飽きが来なく奥が深いとも言われています。)

 

ここ最近は人と会う事がありましたが、やはり人は見た目が9割かな?

と感じる事がありました。

(もちろん、そうじゃない人も大勢います。)

 

物心ついた時から、小学校、中学校、高校、大学、そして就職しても、

見た目で判断する人は大勢います。

見た目による判断が何となく怖くて、思い切って行動に移せなかったり。。。

無理してキレイに繕ってしまったり。。。

 

しかし、そんなのやっぱりバカバカしいし、愚かすぎる。

実際に会ってみたのならまだしも、見た目だけで他人を嫌いという判断は幼い。

 

周囲の目線などもろともせず、自分本位でピアノを弾く自由度をもつ人に敵うのであれば、

生きていくことは、もっと楽になるのだと感じます。

まとめ

空港でピアノを弾いていたオッサン、本当に素敵でした。

ビーサンで弾くのは大変そうでしたが、ラフすぎる服装だから、

余計に素敵に感じます。

 

見た目や正装で判断したり、気にする事って、本当に意味がない無駄な文化です。

記帳指導もユルイ服装だったから、市役所の税務相談もユルイ服装で行ってしまおう。

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