フリーランスに感謝の意を示す方法はただ1つだけ。
天候不順により、写真撮影が2回延期。
心配ですが明日26日の予定に。
予定延期について本当に申し訳なく。。。
カメラマンはフリーランスですので、
「全然OK。気にしないで。」と言いますが。。。。
僕も1人で仕事をしているので、
そこらの事情をよくわかってしまうのですよね。
お客様は僕だけではないのですよ。
こんなオカマ野郎のために、
他のお客様との機会損失を喪失させてしまうことを、
本当に心苦しく思います。
だから感謝の意を示したい。
フリーランスに感謝の意を示す方法は1つだけです。
思う存分いい写真を撮ってもらい、
自分自身が大いに満足することです。
自分の為に時間を取ってくれる気持ちがわかる
僕は自分の業務予定において、
基本は1日の予定は一件のみです。
決算書等のお届けだけ等の場合は、
午前と午後で2件入れることもあり。
また、顧客指定日時でやむを得ない場合は、
2件入れることもありますが、基本は1件です。
その理由は相手の為に伸び伸び時間を取りたいからです。
もしも相手先が、さっさと対面して終えたい。のであれば、
終えればいいだけです。
しかし、相手先が本当はもっと話をしたい。
業務や私的な事を含めて、誰かに話したい。という状況であれば、
僕に時間がなければ実現しません。
ゆえに、十分に利用してもらえるように、
1日1件のスケジュールを基本としています。
だから前日や当日にスケジュールが破棄されると、
割とイラッとします。
2日前に言ってくれれば、
あのお客様の対応の明日できたのに!
ということが、しばしば発生するからです。
その方針は自分が決定しているので、
自分が悪いのですがね。。。。
故に、いざ自分がマンツーマン対応されると、
本当に申し訳なく思います。
マンツーマン対応は申し訳ない思いがある
日常のマンツーマン対応というと床屋。
僕は基本的に床屋では、用件がない限り会話をしません。
なぜなら、会話なし or 会話ありを比較すると、
会話ありの方が、相手の接客時間を要するからです。
先日も床屋へ行った際、次回ブリーチをしたいと思い、
少し会話をしていました。
少々会話が進んだのですが、
いつもよりも10分ほど多くかかったのですよね。
会話なしの場合、50分程度で終えるのですが、
話していると、やはり少し時間がかかります。
先日は店を出るまで65分を要しました。
会話をしなければ、きっといつも通りだったはずです。
うしろに予約があり、お客様は僕だけではないのだから、
自分の責で時間超過することを申し訳なく感じます。
お客様はオレだけではない!
その気持ちは僕の仕事をしているのでわかります。
3月5日になって、確定申告1件くらいできるでしょ?と問い合わせされても、
お客様はあなただけじゃいのよ!というパターンです。
(実際はできますけど、そういう態度の方は冗談じゃないね。)
故に申し訳ない思いがあるから、可能な限り会話をしません。
感謝の意を示すたった1つの方法
とはいうものの、やはり写真撮影はしたい!
しかし、オカマの為にスケジュールを確保してもらい、
本当に申し訳なく思います。
コロコロ変わる天気を予測できない気象庁が悪いんだ!
なぜ2時間、3時間で明日の天気が変わるのだ!
これを書いている25日の今は晴れています。
昨日の夜まで雨予報だったのに!
ちょっとう!
真剣に仕事しなさいよ!
専門家なんだからさ!
気象庁!
僕もフリーランスですので、
相手に感謝の気持ちを示す方法を知っています。
思う存分最高の写真を撮ってもらい、
僕自身が大いに満足することです。
相手に示す感謝の方法は、それしかありません。
僕が仕事をしていて最も達成感がある時は、
やはり相手が大いに喜んでくれて、満足していただいた時です。
金銭は単なる資本主義の副産物に過ぎません。
故に、明日は一応、晴れ36度予報ですので、
大いに満足して感謝の意を示す予定です。
まとめ
僕らゲイカップルは、通常のカップルを比すると、
圧倒的にお互いを映した写真がありません。
家族写真は絶対にあり得ませんし、
僕は相方と仲良く映っている写真は数枚です。
おそらく、10枚もありません。
今の世の中の若いゲイとは、少し事情が異なるのでしょう。
しかし、昭和57年、54年生まれの僕らの世代の僕らゲイカップルには、
お互い仲良く映っている写真がありません。
15年一緒にいるにもかかわらず、
出会った年から色々な場所へ旅行しましたが、
一緒に手を繋いでいる写真は1枚もありません。
だから、何の心理的障害もなく手を繋げるカップルや夫婦を目にすると、
本当に羨ましく思います。
当時から現在の環境や時代の責にするつもりはありません。
全ては自分自身に責任があるからです。
世間の目があったor(まだまだ日本では)あるとはいえ、
勇気を持てなかった、持てない自分が悪いのです。
そこで、せめて自分の姿は残しておきたいと思い、
ややお金をかけて写真撮影をしています。
僕が先に死んだ場合、
相方が毎年撮影した写真を見返してくれることを期待しています。