生きづらいって何?気に入らないだけじゃないの?

初対面で人とお会いする際、相手の動向を鑑みながら、

アイアムオカマです。

と告げるようにしています。

 

アイアムオカマというと、

生きづらさを抱えてきたのでしょ?

と思われるor問われることが多いです。

 

2年程前には、あなた(オレ)のLGBTとして生きづらさを

大衆の前でそういう系のお教室(セミナー)して欲しいという依頼も。

しかし、僕は生きづらさをなど感じたことはありません。

 

生きづらさなんていう言葉や表現は、

僕が思春期の頃には聞いたことがなかったからです。

 

 

 

 

秋田ゴールドが届く!

 

 生きづらさって何?

よく〇〇が生きづらい社会。

〇〇が生きづらい世の中。という表現を目にします。

 

僕はこの「生きづらい」という形容がよくわかりません。

 

敢えて生きづらいか否か答えるのなら、

太平洋戦争の頃の戦時下と比するのなら、

圧倒的に令和の現代の方が生きやすいと思います。

 

でもきっと、生きづらいキャンペーンの生きづらいとは、

そういうことではないのでしょうね。

 

〇〇が生きづらい社会という表現は有り触れていますが、

単に自分が気に入らないから「生きづらい」という表現を使う方も、

確実に存在しているなあとも感じます。

 

今日はお仕事で人とお話をしていて、

思春期の頃の生きづらさについて問われました。

 

例えば、好きな同級生(男子)の事など。

男女間であれば、ザ・告白タイムのチャンスがあります。

 

しかし、同性間の場合、少なくとも90年代年において、

地方公立中学生活では、そもそも同性間の告白タイムは想定されていませんでした。

 

これは中学生男子特有なことなのですが。。。。

 

男子の間では、当然、Hな本やビデオの使用貸借が発生します。

そして、友人らとHなトーキングをすることも。

 

思春期の男子では、ごくごく自然な姿ですが、

ゲイの僕は好きな同級生の男子と、女性の話をして、

話題を合わせる必要があります。

 

そういう時、自分が好きな同級生は女性をそういう目でみるのか。

ということも思い知らせれます。

 

現実を叩きつけられるのですが。。。

それは別に生きづらさでもなんでもありません。

 

男女間であっても、恥ずかしくて告白できない。

仲がいいグループだから、今更言えない。なんてことは、

世の中ザラにあるのでしょう。

 

思春期なら尚更です。

 

確かに(当時の)男性間の場合、

ザ・告白タイムという機会さえも与えられない。

というプレミアムが存在していましたが。。。。

 

でもそんなことは、法令で定められていたわけでもなく。

 

ザ・告白タイムという機会さえも与えられない。

と位置づけしたのは僕自身であり、

全ては僕のジャッジの結果です。

 

だってさ、当時だって、男性同士で付き合っていた人はいたのだから。

生きづらさという表現は本当に楽だなあと思います。

 

わざわざ生きづらいとカテゴライズしてしまうから、

本当に生きづらくなるのだと思います。

 

 本当はただ気に入らないだけ

僕が思春期の頃、生きづらさという表現を耳にした記憶がありません。

あったのかなあ?

 

いや、生きづらさとは、

この10年程で、聞くようになりました。

(鈍感だったたけかもしれませんが。。。)

 

故に、天然の純正オカマだったにもかかわらず、

生きづらさを感じたことはありません。

 

初めから生きづらさなんて定義された形容がなければ、

生きづらさなんて存在しないのだと思います。

 

便利な言葉を安易に使ってしまうからこそ、

本当に生きにくくなってしまうのだと思います。

 

6年前、滋賀へ転居する1年前、

概ね半年かけて、滋賀⇔静岡を何度か往復し、

相方と暮らす住居を探しました。

 

潔く、We are オカマですと告げたのです。

しかし、当初はなかなか首尾よく行かず。。。

 

最初の不動産屋さんから紹介された物件は、

〇東の明らかに法定耐用年数が経過した木造アパート。

 

なぜここなの?駅まで40分かかるし。

相方は会社員で電車通勤って言ってんのに。

 

どう考えたってさ、これさ、嫌がらせじゃん。

だって、怪訝な表情だったもん。

 

そして、2件目の不動産屋でも。。。

営業の方のふとした瞬間の僕らを見る表情が、

それを物語っていたのです。

 

そういうのって、僕らには分かってしまうのですよね。

 

それが今の時代の、生きづらさというのでしょうが、

僕にはそれが生きづらさだとは、到底思えません。

 

僕も契約したくない、引き受けたくない方にお断りするように、

1件目の不動産屋は、ただ、僕らと契約したくなかっただけです。

 

2件目の不動産屋さんは、僕ら(ゲイ)を理解できないだけです。

 

生きづらさでも何でもありません。

 

それを生きづらさと定義して片づけるのなら、

自分にとって不都合なあらゆることは、

生きづらい〇〇になってしまうじゃん。

 

だから安易に生きづらいなんて使うものじゃないと思いますし、

僕はまず表現することはありません。

 

生きづらいというカテゴライズをそもそもしなければ、

生きづらさは無くなると思います。

 

 まとめ

秋田ゴールド、あいかの香りが届きました。

スッゴク美味しい!

 

ええ、非常に生きやすいです。

 

こんな美味しいものが食べれるのですから、

生きやすいかどうか問われたら、生きやすいと思います。

 

 

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