祝!ゲイ心 blooming 30周年。今年はゲイに目覚めて30年目です!

1994年8月滋賀県守山市で開催された、

全国ソフトボールスポーツ少年団の全国大会でゲイに目覚めて今年で30周年。

 

静岡県から滋賀県に転居して相方と暮らしている事実は、

きっと偶然ではないと確信しています。

 

そこでゲイに目覚めた全国大会の大切な第1試合の前日、

その夜の出来事を振り返っておきたいと思います。

 

 

 

 

1994年8月から男性が大好きです。

男性の逞しいふくらはぎって、素敵ですね。

 

 1994年8月滋賀県守山市全国ソフトボール大会

小学校5年に二次性徴を迎えた僕は、以前より男性と一緒にいると、

なぜかドキドキしてしまうことに疑念を抱いていました。

 

今はどうなのかはよくわかりませんが、

当時、男子が11歳で二次性徴を迎えることは、

比較的早かったと記憶しています。

 

小学校6年の5月の修学旅行の頃は、

既に声が完全に低くなっており、

そして下半身も完全に濃くなっていたいので、

脳みそも思春期を迎えていたのです。

 

故に、男子の集団にいるとドキドキドキ。

そんな中、自分の意志ではなく強制的に所属していたソフトボール部が県大会で優勝。

 

わざわざ夏休みに全国大会に行く羽目になってしまいました。

 

その開催場所が、滋賀県守山市だったのです。

当然、宿で宿泊します。

 

宿泊するということは、みんなと風呂に入るのです。

皆で風呂に入るということは、下半身を晒すのです。

 

未熟なプレゲイにとって大きな障壁。

 

小学校5年の宿泊訓練、6年の修学旅行の大浴場を乗り越えた僕に、

追加で全国大会の大浴場という大きな試練がのしかかったのです。

 

試合よりも大浴場です。

試合なんてどうでもいいです。

 

大浴場で男性の姿を見て下半身が大きくなってしまったら。。。

12歳にして他県で人生終わりです。

 

学校の家庭科の宿題のふりをし、

タオルを2枚重ねてミシンで縫い、

オリジナル下半身隠しタオルを作成しました。

 

そんなに大浴場が問題?と疑問に思う方もいらっしゃるのでしょう。

 

ノーマル男性が女性と一緒に風呂に入ったらどうでしょう?

普通ではいられないでしょう?

 

それが思春期の男性だったら、

速攻でギンギンになることは言うまでもないでしょう。

 

男性が好きな僕にとって、

それが女性ではなく男性というだけです。

 

今ではコントロールする術を習得したので、

むしろ大浴場をすることが多いのですが。。。

 

当時、男性としてまだ未熟だった僕には、

意志とは関係なく膨張する下半身を

コントロールする術を会得する機会などはありませんでした。

 

そして遂に、1994年8月にその時(大浴場)を迎えたのです。

 

 大浴場でゲイに目覚める

幸運にも、現地に着くと宿内では自由だったのです。

だから夜は腹痛を理由に皆と風呂に入ることをワザと回避。

 

ほんと!オカマって大変よね。

 

そして、夜10時から11時の間くらいにコソっと入ることにしたのです。

大浴場には人は殆どおらず一安心。

 

安心も束の間。

 

湯船でゆっくりしていると、大学生らしき若者が入ってきたのです。

明らかにノーマル男子ですので、普通に全裸でドカドカやってきました。

 

刺激が強すぎて、だんだんと雲行きが怪しくなってきます。

そして、よりによって僕のそばに接近。

 

何故この時間に一人で入浴しているのか問うてくるのです。

 

途轍もなく余計な事をしてくれるのです。

しかも下半身丸出しで。

 

今でもハッキリ記憶している光景は、

入浴していて熱くなったのか、

湯船に入る際にまたぐタイルの上に彼らは座り話していたのです。

 

だからその下半身の姿全体がクッキリハッキリ目に入ってくるのです。

若い大人の男性ですので、質量や体積が異なります。

 

まだ精神的に未熟だったたので

彼らの下半身のそのずっしり感から目を逸らせないでしょ。

 

案の定、僕の下半身は最も恐れていた状態になってしまい。。。。

万事休すです。

追い詰められた!

 

静岡から全国大会に来ていることを告げ、

その場を適当に乗り切ったのです。

 

もう翌日の第1回戦なんてどうでもよかったのです。

 

しかし、そんな状態になってしまい抑制が効きません。

スペシャルタオルなど全く役に立たず。。。

 

試しにジェットバスに移動しましたが逆効果。

ジェットバスが刺激になってしまったのです。

 

何とか心頭滅却を行い、ようやく風呂を上がり着替えたのです。

 

大きな宿だったので、風呂も脱衣所もそれなりの大きさ。

脱衣室には無料の大きな麦茶マシーンがありました。

 

やれやれ。乗り切った。と思い麦茶を飲みながら、

「ああ、自分はオカマなんだなあ。」とハッキリ認識しました。

 

大学生3人の下半身の姿が脳裏に焼き付いていたからです。

 

思春期の男子が若い女性の全裸を最接近して目撃した同然ですからね。

 

それまでも薄々何だか自分はおかしいぞ?と思っていましたが、

その理由がようやくわかったのです。

 

そのよくわからないモヤモヤが溶けたその時は、

非常にスッキリした記憶があります。

 

遂に僕のゲイ生活がスタートしたのです。

 

 最初から全ては決まっていた

麦茶を飲んでいると、もう23時近かったにもかかわらず、

ちょくちょく風呂に入りに来る人がいました。

 

しかし、既に着替えていた僕に万事休すはありません。

 

麦茶を飲みながらぼーとその光景を眺めていると。。。。

あっ!あの人かっこいい。と思うことがありました。

 

よし、明日も夜一人で風呂に入ろう!

その時に大浴場の楽しみを覚えたのです。

 

明日も大浴場に入るために、

明日の(どうでもいい)試合を頑張ったのです。

 

そして第1試合に勝ち、再び大浴場に入りました。

 

どうやら、親達はまさか勝つとは思っていなかったらしく、

急遽、宿を延長することになったと記憶していました。

(確か宿を移動するかどうか、支払いは?ともめていた記憶が。。。。)

 

しかし、僕は、「再び大浴場で大学生に出会えるかも?」

とワクワク感を抱いていました。

 

あの重量感と質量がある下半身が脳裏から離れない。

 

「ああ、なるほど。もう完全にオレはオカマだ。」と認識した、

1994年8月滋賀県守山市の全国ソフトボールスポーツ少年団の思い出です。

 

 まとめ

それから中学高校大学に行き、

女性と親密な関係になることもありました。

 

しかし、オカマの僕は女性と性行為自体をしたいと思えませんでした。

 

一緒にデートや泊りの遠出をする時には、

若い男女であればセックスをすることは自然です。

 

ゆえに、宿泊を伴う遠出の時は、朝から情事の時間の到来が、

「ああ、嫌だなあ。。。」とブルーでした。

 

一方、男性とセックスする時には、

至って自然に行為をすることができたのです。

しかも、行為を終えたあとは幸せ感を充当。

 

故に、すべては最初から決まっていたのです。

生まれ持った特性に抗うことは不可能です。

 

一旦、自分の特性を認識したのであれば、

それに逆らうことなく素直に遵守することが最も理に適います。

 

あれから今年で丸30年。

 

嫌なことも傷つくこともそれなりにありましたが、

結局はそれらは全て人並程度です。(あくまでも僕は。)

 

幸いにも、友人や周囲の環境に非常に恵まれ、

楽しいゲイ生活を送ってきました。

 

大学の時には、かくかくしかじかで皆と風呂に入りません。と告げると、

大丈夫だから一緒に風呂に入ろう。と言ってくれる暖かい人ばかりました。

 

滋賀県守山市でゲイに目覚めて、

滋賀県でゲイとして税理士をしていることも

最初から決まっていたのだと感じています。

 

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