GW特集その3。For fear of 女っぽい。オカマっぽい。悩むこと勿れ!
ゲイの方の特有の要素というと、
どこか仕草や言葉の節々が女っぽい。
という分かりやすい部分にゲイレーダーが認識します。
小学校の頃、クラスに1人はいたと思われる、
あれ?ちょっと普通の男の子と感じが違う。というアレです。
ザ・メンズ要素全開の方もいますが、
その仕草や言葉や話し方が違うぞ!という分類に悩む方も多いようです。
今でもなお、小学校中学校等で「女っぽい。」とからかわれて、
真剣に悩む人もいるのですね。
僕も当然ながら、小学校中学校の頃は
「女っぽい。オカマっぽい。」と分類されましたが、
そんな事に悩むこと勿れ!
「女っぽい。オカマっぽい。」という知覚的要素は、
大人になると「優しくて穏やか、人当たりがよい、丁寧でわかりやすい。」
という客観的で具体的なプラスの要素に変化します。
ゲイのあるある要素 女っぽい。オカマっぽい。
僕は保育園の頃から女の子と遊んでいました。
元気な男の子として、お外で遊ぶなどしませんでした。
雨の日に泥だらけで遊ぶなんて絶対イヤ!
5歳、6歳でも、確実に自我が存在することを記憶しています。
いるじゃんね。
クラスに1人は絶対に。なぜか女の遊ぶ男子。
それはオレです。
女の子とカルタやウノをやったり。
よく覚えているのは、英語の絵本を女の子と見ていて、
水が欲しい時は、「ワダプリーズ。」
時間を尋ねる時は、「掘った芋いじるな。」だったような気がします。
小学生はまだ未熟過ぎて、自分=大衆と異なる個体を、
頭で理解して受け要れることが容易でないですよね。
中学生は目立ちたい!特別感願望がその根底のあるので、
明らかに大衆と異質であるオカマは、おのずとその要素を持っているで、
分かりやすい妬みの要素のなり、からかいの標的には絶好です。
大抵の場合、事が発生した場合には、
仲良くしている女の子が守ってくれるのですがね。
声が低くなって以降も僕はナヨナヨしていたので、
「女っぽい。オカマっぽい。」や、
懐かしき「カマくせえ」という知覚をいただいたのです。
確かに気分が良いことではありませんでしたが、
その認識に悪意がないことは明らかです。
ええ、少なくとも、悪意をもって、
「かまくせえ。」と発言する人はいなかったような。。。
小学生や中学生はあくまで純粋で、
オカマくさいは、一定のカテゴリーに過ぎなかったのですよね。
比較的友人にも恵まれて、良好で楽しい学校生活でした。
ただ、目下のこの令和の時代にも、
思い悩んで学校に行けなくなる人もいるのですね。
(本当は自分なりの対処法が後々の人生の礎となるのですがね。)
しかし、悩む必要は一切ありません。
「女っぽい。オカマっぽい。」という知覚的要素は、
やがて明らかにゲイ特有のプラスの要素に変化します。
人の知覚的認識はいつしか変化する
社会人になり金融機関に就職し、外回り営業をしていた際、
しばしば、「優しい。」という形容詞をいただくことがありました。
ええ、僕は決して優しくありません。
割とズケズケいうタイプです。
脱税思考がある人間に対しては、
消えろ。馬鹿おんな。社会のごみ。
と平気で言う事ができる(ようになった)人間です。
こうやって改めて文章にすると、酷いですね。
会計事務所に転職した際も、
お客様から「優しい。」と言われることが多かったのです。
独立開業して以降は、しばしば、
「優しくて穏やか、人当たりがよい、丁寧でわかりやすい。」
といった感想???を直接いただくことが多くなりました。
実は先日まで、ずっと社交辞令だと思っていました。
他に言うことがないから、そう言うよね。
メールでも、それしか書く事ないんだろうな。=社交辞令。
昨年は5件ほど有料のスパルタ記帳サポートと行った際、
最後に「丁寧で穏やかで分かりやすかった。」という感想をいただき、
関西は社交辞令が多いなあ。と思っていました。
ええ、オカマのスパルタですので、割とキツく指導しています。
例えば僕の指導はこのような感じです。
「あのさ、Airレジやクレジットの売掛残高が正しいか物理的に電卓入れろって言ったよね。
なんでズレてんだよ。人の話聞いてる?」
「連動してるくせに残高が合わないって、馬鹿と鋏の使いようですよ。」
などと(仕事ですから)平気で告げます。
それでも「優しいし、丁寧で穏やかで分かりやすかった。」と言うから、
ああ、きっと社交辞令なのだなあと思っていました。
しかし、「優しくて穏やか、人当たりがよい、丁寧でわかりやすい。」は、
僕らがもつ特徴的な知覚的感覚要素なのだと、
最近になってようやく気付きました。
ゲイのポッドキャストを聞いていると、
同じゲイの方も、僕と同様のことを経験している方が多いのです。
社会人になってから、「女っぽい。オカマくせえ。」が、
「優しく、穏やか、人当たりがよい、丁寧、わかりやすい。」に変わったと。
おそらくは、それが真実なのだと思います。
他のゲイの方も認識していることですので、間違いありません。
社交辞令などではなく、また僕の仕事に対する評価でもなく、
オカマがもつ客観的で具体的なプラスの要素なのでしょうね。
女っぽい。オカマっぽいに悩むことは一切ありません。
中学高校の時のイケメンなんて、チヤホヤされますから、
30代になると一気に容姿も衰退して腹もブヨブヨになります。(失礼!)
一方で、オカマくさいは生涯に渡りその効果が継続します。
成熟した大人になれば、女っぽいという要素は、
僕らにとってプラスの要素に変化します。
周囲がザ・男子なら、オカマっぽい個性を大切にする方がベストです。
まとめ
僕は女っぽい、オカマくさいという表現は嫌いではありませんでした。
むしろ、ちょっと嬉しかったです。
クラス内で、ひょうきんで元気なザ・男子から、
「おまえオカマくせーんだよ。」と言われたとしたら、
それだけでその男子と繋がりができるじゃない。
一旦、「オカマくさい」と認識されたのなら、
その「オカマくさい」を口実に利用すればいいのですよね。
日常的に意図しながらあたかも無意識のように、
ちょっかいを出すことができるじゃない。
だから中学の時に、気になっていた男子から、
「おい、オカマ、帰るぞ。」と告げられ、よく下校していました。
だから大抵の場合、オカマくさいには悪意はありません。
オカマっぽい。悩むこと勿れ。