固定観念が豊かな社会を阻む。日本はまだ豊かではない。
先日熱海市の施設で、聴覚障害者の方が利用を断られたというニュースがありました。
後日、行政から謝罪があったようです。
安全が確保できないからという理由だそうですが、
この判断が正しかったのかどうかはわかりません。
今の日本では、残念ながら似たような事が多くあります。
見た目や固定観念で塗り固められた教えが、なかなか抜けないのですよね。
今日は、その一部について書こうと思います。
入れ墨は温泉、銭湯禁止
僕が通っているジムのお風呂には、
「入れ墨の方はシャワーのみの利用」と張り紙があります。
日本の温泉施設でも、「入れ墨お断り!」
こういった問題は以前よりありましたよね。
というか、以前はそれが当然だったのです。
僕も特にそれがおかしいのだとは感じませんでした。
きっとそれはずっと日本で暮らしていて、
日本の考え方が当然だったからです。
しかし、なぜ入れ墨はお断りなのでしょう?
明確な理由が分かりませんよね。
よく挙げられる理由が、
「それを見た人が怖がるから」
そんな抽象的な理由を唱えるのは、おそらく日本だけなのでしょう。
見た目が怖い人などは、町中沢山いますよね。
はたまた、「品位に欠けるから」
人は見た目とはいうものの、見た目のみで100%決定する人間の方が、
よほど品位がないように感じます。
入れ墨がなくても、湯船や浴室でのマナーの悪い人、
脱衣所でもマナーが悪い人など多くます。
「それが日本の文化だから」という人もいます。
そんなの文化でもなんでもありません。
単なる人の考え方と先入観です。
これだけ日本という国が注目されており、2年後には五輪も開催されます。
世界と融合するためにも、他国や違う考えを受け入れるといった姿勢も大切だと感じます。
それは、伝統が衰退する事とは全く異なります。
入れ墨は銭湯や温泉禁止といった事は、もはや時代遅れすぎます。
純然たる、見た目だけの差別です。
同性では宿泊禁止
数年前に話題になりました。
同性のカップルが、宿泊を断られたという話。
なぜ同性だと宿泊禁止と告げたのでしょうか?
そう告げられた人がどのように感じるかなど、
成人して社会にでた大人なら容易に把握できるはずです。
ここ5年程でLGBTの問題については、
目まぐるしく考え方が変わりました。
学校の教育でも、今は学習するようですね。
問題は、僕らのようにそういった教育を受けていない人達です。
異性愛が当然といった固定観念がそうさせてしまうのかもしれません。
比較的若い人の間では、偏見等は薄まっているといわれますが、
固定観念をもつ人は全盛代で一定数いるのでしょう。
それでは、彼らのような人間たちは、差別されるべきだというでしょうか?
そんな社会は生きにくいですよね。
とてもではありませんが、豊かな社会とはほど遠い社会です。
冒頭の熱海の件と同様に考えると、
豊かな社会とは、人の考え方の集合体のような気がします。
まとめ
誰もが生きやすい、豊かな社会というのは存在しないかもしれません。
五輪がせまり、ますます多くの海外旅行者が日本にやってきています。
これからもっと増えるんでしょうね。
対顧客に対するおもてなしは、すばらしいのかもしれません。
しかし、閉鎖的な日本の社会や考えを彼らが目にしたとき、
一体どう感じるのでしょうか?