オリンピックボランティアに参加したい。ボランティアに参加する意義を考える。

先日、オリンピックのボランティアについて書きました。

オリンピックボランティアに対する世論は、厳しいようですが、
もし今学生なら、参加したかったなーと思っています。

というか来年退職するので、申し込んでしまおうかな?
こんな機会はまずないですからね。

金銭的な問題がありますが。

さて、今日はボランティアの意義について触れます。

僕は大学の時、ボランティアサークルをしていました。
元々は、女の子とキャピキャピしたい!

そんな不純な動機す。

大学生活の後半になると、ほとんどボランティアは参加せず、サークル自体を楽しんでましたが、
定期的にボランティアには参加していました。

サークル加入当初は、非常にやりがいがありました。

勿論、それまでボランティアの経験がなかったため、
当時感じたやりがいとは、その達成感だったのかもしれません。

しかし、ボランティアをすればするほど、嫌な気持ちになることが多くありました。

それらをボランティアの意義について考えながら
自分自身を振り返りたいと思います。

Live spontaneously

ボランティアをして感じた嫌な気持ち

僕が参加したボランティアは、主に障害がある子供とのレクリエーションでした。

子供といっても、小学一年から中学三年まで。
土日に子供たちと触れ合いをしたり、毎週定期的に病院に訪問したり。

障害がやや重い子供とは、上手くコミュニケーションが取れない事も。
ただ、それも時間が解決してくれます。

サークル加入後、暫くは非常に充実していました。

自分とは異なる世代の人とも触れ合う機会が多く、
19歳前後という年齢もあり、新しい世界が楽しかったんでしょう。

しかし、なぜか回数を重ねていくにつれ、ボランティアを終えた後、嫌な気持ちになる自分がいました。

障害のある方に対しては、全く偏見はないにもかかわらず。

それでも、ある時を境にしてボランティア終えた後、嫌な気持ちが湧き上がるようになっていきます。

antipathy

暫くは、それが一体何なのかわかりませんでした。

心の底では、自分と違う人達を嫌っているのでは?
そんな風に考えたりもしました。

丁度大学1年の夏休み明け、少しサークル活動を離れた際に、
その正体が明らかになります。

嫌な気分の根底にあったものは、自分はおそらくは健常者であり、
障害者の方との間の、その差を目の当たりにした事です。

差を目の当たりにしたとき、相手の立場になりきれない自分、
相手の目線に合わせられない自分を、認識されるのか怖かったのです。

僕がいくら触れ合った所で、彼らの障害が改善されるわけではありません。

偏見などないと思いつつ、知らず知らずのうちに、自分で差を設けていたのだと思います。

ボランティアを終えた後の、その嫌な気分。
つまりそれは、

「自分は彼らに偏見がある」

「彼らの立場はわからない」

そういった、自分自身に対する嫌悪だったのです。

ボランティアは何かを考えるための1つ

ボランティアへの参加は、非常に意義がある事です。
地域や災害、オリンピックに問わず、日常では到底経験できない感情を得ることができます。

一方で、ヤル気がなく義務的に参加するのであれば、参加は止めろという意見も。
とりわけ災害の場合は、そういった姿勢では参加すべきではないのかもしれません。

しかし、多くの場合、参加した後と前では、今までとは違う感情を持つと思います。

various emotions

もしかしたら、良い感情かもしれません。
僕のような、嫌な気持ちにかもしれません。

どちらであっても、参加した事により得られる感情があるはずです。

ボランティアへの参加は義務ではなく任意。
非日常なので、わざわざ大変な非日常を味わう必要はありません。

しかし、だからこそ得られるものも多くあります。

僕がボランティアから得たこと

僕はボランティアを通して、相手の立場になって考えたり、
目線を合わすことなどは不可能だと感じました。

別々の人間なので、当然ですよね。

彼らとボランティアで接していても、何が苦しいのか、何をしてもらいたいのか、
全くわからない事も多くありました。

considerate

当時、同じサークル内で、「思いやり」とか「人を思いやる気持ち」とか、
簡単に口に出す人が嫌いでした。

その思いやりが相手が意図したものではなく、一方的な事であるなら、
それは単なる、自分の理想論の押し付けでしかありません。

思いやりとは、第3者が判断するものではないと思います。

思いやりとは、相手の立場や思い、そして相手の目線の位置を、
できるだけ推し量るよう努力する事だと感じます。

まとめ

東京オリンピックのボランティアって意義がありますよね。

いろんな国の人の思いを、推し量る事ができます。

それって素晴らしい事ですよね。

そういった機会に参加することが出来る年代が、非常に羨ましく思います。

オリンピックボランティアの交通費、宿泊費の問題については、
いろいろ意見があるようです。

きっと頭の硬い都は変更したりしないんだろうな。

でも、宿泊費や交通費は、もうちょっと懐を大きくしてもいいと感じます。

多くの人が参加できる機会であってほしく思います。

幅広い年代のひとが参加出来るように、制度を整えてほしいと願います。

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