カミングアウトは告白や公言ではない。自分自身が自分を真に受け入れる適正に健全な儀式。

先日の暑い午後、出張へ行く相方と(オレは仕事で)駅に向かう際、

相方の日傘に入れてもらいました。(暑くて。。。)

 

草津駅まで人通りが少ない道をチョイスし、

ちょっと嬉しくなってニコニコ歩いていたら。。。

 

通りすがりの人が滅茶苦茶見てる!

高校生とかガン見してる!

 

見なさい。見なさい。

オープンゲイはそんなことでひるまない。

 

カミングアウトとは、

他人に対して何かを打ち明ける行為ではない。

 

本当の意味で自分自身が自分を受け入れる適正に健全な儀式です。

 

 

 

 

企業会計原則の適正に健全ってフレーズが大好きです。

 

 オープンにしてから変化した心境

対面orオンラインで久しぶり会った方からは、

以前より明るくなったと言われます。

 

自分ではあまり感じません。

 

敢えて言うと、他人と接っする時に、

隠すべきことが消滅したことです。

または、もう隠すつもりもないことです。

 

以前はバレた時の事を考えたり、

嫁さんという架空名称を設定していましたが。。。

 

今はそんな空音を放つ必要がありません。

 

意識が変わったきっかけは言うまでもなく、

4月にオープンにしたからですが。。。

 

自分を受け入れることができた事が起因しています。

 

発覚を避けるという心理状態は少なからず、

自分を受容できない部分があるからなのでしょうね。

 

 友人に対するカミングアウトはハードルが低い

地元の静岡にいた時も、

部分的にカミングアウトをしていました。

 

金融機関勤務の同期や上司、学校の同級生、

大学の友人の一部、

行きつけのお店の店員など。

 

数少ない自分的に濃いと思う交友関係には、

ゲイであることを伝えていました。

 

友人に対するカミングアウトのハードルは、

実の所、それ程高くありません。

 

勿論、言おうとした相手は信頼できる相手であり、

何となく否定しないと感じる相手をセレクトアウトしましたが、

カミングアウトした相手は、自分にとって大切な方ばかりです。

 

しかし、職場をはじめとしてた日常を取り巻く人達には、

ゲイであることを知られたくなかったのです。

 

最後に勤務していた職場の後輩にも、

在職中は打ち明ける事ができませんでした。

 

とはいうものの、友人に対するカミングアウトは、

それ程難解なハードルではありません。

 

なぜならあかの他人だからです。

 

仲が良い友人であっても、

あかの他人が何しようがどうだっていいです。

 

他人が何を欲しようが、関係ありません。

(職場はね、ハードル高いですが。。。)

 

悪い言い方をすると、今の時代は無関心です。

 

無関心だからこそ、

友人がゲイであろうとレズであろうと、

どうたっていい人が大半です。

(ただし、無関心=受け入れたということではない。)

 

故に、友人に対するカミングアウトは、

それ程困難ではありません。

 

最強のハードルは両親です。

 

 両親は最大の難関

ところが、あかの他人と両親は異なります。

 

戦前に出生した価値観の更新がない人間であれば、

そのハードルは一気に高くなるでしょうね。

 

親に対するカミングアウトは、

批判的な意見も多数存在します。

例えば。。。。

 

両親にカミングアウトする事はやめた方がいい。

カミングアウトされた側の気持ちも考えろ。

カミングアウトするなんて一方的過ぎる。

カミングアウトせず黙っていればいいじゃない。

 

僕自身も上記の意見を友人から告げられ、

ひるんだことがあります。

 

また今年の4月に実際に親に話した時も、

正にその通りの事を言われてしまいました。

 

しかし、カミングアウトとは、

単に自分を公言するだけの行為ではない。

 

誰だって、発動時期や認識時期等の過程があり、

ノーマルではない事を、それなりに悩むのです。

 

カミングアウトとは、自分自身が真に自分を受け入れるために、

自分と対峙すべき最後の局面だったのだと思います。

 

 カミングアウトは自分を受け入れること

親にオープンにするということは、

100%自分がゲイであると認識していることが前提です。

 

自分は普通に家庭を持ちたい!

いや!自分は女が好きだ!(はずだ!)

いつか女性を好きになるはず。。

自分はゲイではない!

 

なーんて心理状態の時に、

カミングアウトなんてするはずありません。

 

最大の難関である親に対するカミングアウトは、

自分自身が完璧にゲイであることを受け入れたが故に、

行うことができるレベルが高い行為。

 

人格否定や拒絶される可能性があり得る高度なチャレンジを、

自分が受容できていない心理状態で、

わざわざ行うことは合理性がありません。

 

僕はゲイである発覚を恐れていたので、

高校卒業後、無理に実家を出ました。

 

実家から静岡大学まで車で30分ですが、

1人暮らしをしていました。

 

地元の金融機関に就職しても、

実家に帰らず気が付けば実家とは疎遠に。。。

 

相方と出会った26歳頃まで、

自分の意思で男性とセックスしていたにもかかわらず、

いつか女性と家庭を。。という矛盾を抱えていました。

 

女性に何の興味もなく、

ハッキリとゲイである認識があったにもかかわらず、

いつか正常になると考えていました。

 

人一倍他人と比較する性格だから、

ゲイであることを受け入れる事が困難だったのです。

 

相方と出会ったことでその9割が昇天し、

税理士試験に合格した30歳の時に、

一緒に暮らすことを描き始めました。

 

それでもなお、完璧ではなかったのです。

 

なぜなら、親に黙って仕事をやめて、

事実を告げることなく、滋賀へ転居したからです。

(普通この時点で変だと思うのですが。。。)

 

そして嘘をつく事が面倒になり、

オープンにすることになりました。

 

長年自分を受け入れなかった僕にとって、

カミングアウトとは自分を受け入れることでした。

 

だからオープンにするということは、

健全に生きていくための大きな糧の1つです。

 

独りよがりや一方的、

言われた方の気持ちを考えろといわれようが、

第3者が介入する余地はありません。

 

カミングアウトとは、

自分が受け入れるための適正に健全な手段です。

 

 まとめ

友人や知り合いに対するカミングアウトは、

ハードルが低いと書きました。

 

しかし、どうだっていい人に、

ストレスがかかるカミングアウトなどしません。

 

信頼できる人、

今後も付き合っていきたい人、

大切に思っている人でなければ、

カミングアウトなどしません。

 

カミングアウトされた側の事を考えろ。

と僕も友人から言われましたが。。。

 

カミングアウトにより、真に自分を受容できるのなら、

他人に迷惑をかけることくらいで、

バチは当たらないと確信しています。

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