ゲイ的税理士生活。結婚式参加後のゲイ特有の空虚感。ゲイには絶対に手に入らない両家の家族の祝福がツライ!
ゲイ的チャンネルを聞いていた所、
「友人の結婚式帰りの虚無感で泣き出す」
という話を聞きました。
その思い、オレはよくわかります!
結婚式に参加した後のゲイ特有のあの空虚感。
それは異性愛者の独身者が抱く虚無感とは異質です。
どうにもならないあの空虚感。
そしてその空虚感は危険なんだよね。
なぜならその空虚感が、
いとも簡単に自殺に追い込むからです。
空虚感を感じたらプリンです。
プリンを食べたら元気になる。
結婚式参加がツライ20代
20代の時に、僕も結婚式に参加しました。
初めての時は24歳の時。
そして25歳、26歳、27歳の時。
おそらくは、6回程?
いわゆる、社会人になった後の結婚ラッシュ。
僕はなぜか、結婚式で証明する人?
に突然指名されたことが過去2回。
大勢集まる静まり返った教会で、
「ご友人の遠藤さん。」と指名され、
「お二人の愛の誓いの署名をお願いします。」
という、非常に迷惑な役割を担わされました。
オレがゲイであることを知らずに。。。
新郎新婦の家族から祝福される姿って素敵です。
お互い他人だった両家が繋がる姿って、
こういうことなんだなあと、しみじみ。
お互いの家系が繋がることって、
いいなあと今でも思っています。
明るい輪が形成される瞬間を、
何度か目にしてきました。
自分には絶対に掴むことが出来ないことだから、
28歳の頃から、結婚式に参加することは止めました。
ゲイには絶対に手に入らない祝福
異性者のように、ゲイである自分は、
他の家系や血縁と繋がることは一生ありません。
という事実は、異性愛者の独身者とは、
その意味合いが全く異質です。
ええ、絶対にあり得ないですもの。
例え内閣総理大臣が突然明日から、
「同性婚、今日からOKにしようぜ!」と狂ったとしても、
異性愛者の両家のように、
笑顔で祝福されるなんてことはありません。
人間はモノじゃないからさ、
突然、その思いや概念を変化できやしませんよ。
明日からイエーイ!なんて変わらないのよね。
このクダラナイ僕ですら、18、19歳の頃から、
それらを十分理解していたつもりです。
だからこそ、結婚式に参加した後の、
あのどうにもならない空虚感を嗜むと、
簡単に自殺してしまうのですよね。
見せつけられて無感満載
大学のサークルの後輩の結婚式に参加した時のこと。。。
新郎新婦とも、同じサークルでした。
同じサークルだから、
双方(特に新郎側の)の恋愛遍歴を知っている。。。
だから僕も何だか嬉しくて、当然参加。
実は結婚式前日まで、
僕は今の相方と2泊の旅行中でした。
そのままのいい気分を維持して、
相方に結婚式会場まで送ってもらったのですが。。
自分には絶対に掴むことができない、
あのキラキラした2人と両家の姿を見せつけられてしまい。
(しかも結婚式の署名を指名されて。。。)
2次会には参加せず帰宅。
帰りの新幹線では、ずっと虚しさ一杯でした。
あの時の複雑で空しい思いは、
言葉にすることができません。
友人2名とも名古屋だから、
結婚式って本当に豪華でした。
名古屋特有の「菓子投げ」もありました。
引き出物は豪華!
大きな紙袋2つも。。。
薩摩切子?江戸切子?かな?
赤と青のグラスがセットで入っていました。
そういうものすら、鬱陶しいのです。
きっと高額なものだったのでのでしょうが、
自宅の壁に投げつけて赤、青のグラスとも、
粉々に砕け散りました。
(ああ、本当にごめんなさい。)
それ以来、結婚式に参加したことはありません。
ゲイだって祝福されたいのよ
僕は同性婚はどうでもいいと思っています。
権利を獲得すれば、義務も生じるからです。
一度法令は施行されれば、
「そんな義務があるなら権利はやっぱり要らない。」
なんて勝手な理屈は通らないからです。
現行の婚姻関係と同等の税法上の権利は、
本法や措置法で定めればいいじゃない。
しかし、同性婚を求める想いも理解できます。
ゲイ同士で結婚したいなんて理解できない。
勝手に2人で暮らせばいいじゃない。
日本の家系制度を巻き込むな。
という考えも正解だと思うのですが、
異性愛者がお互いの家系の両親・家族に祝福されて、
幸せ・嬉しいと感じることと同様です。
同性婚を望む主たる理由は法的権利獲得ではなく、
僕らもお互いの両親に、祝福されたいと思っています。
まとめ
ゲイ的話を聞いていて、
20代のときのことを思い出しました。
今は結婚式に参加しても何も感じません。
僕も相方も含めて多くのゲイが、
乗り越えてきたのでしょうね。
しかし、自ら命を絶つことはやっぱり良い社会ではない。
僕は両親から、相方になど会いたくない。
帰ってこなくていいと言われました。
それは仕方がないことですし、
両親を責めるつもりもありません。
だから地元には帰りますが、
もう実家に帰るつもりもありません。
とはいうものの、先日エバンゲリオンを見ていたら、
綾波がこんな事を言うのよお。
「碇君は、お父さんのこと、わかろうとしたの?」って。
こういう問題は社会や周囲の環境ではなく、
当事者である僕らが変えていくべきものだと感じます。