GW特集ゲイの深淵シリーズその4。Regarding my 相方。これがリアルボーイズラブ。
先日、顧問先様の10周年に招かれた際、
実は相方も一緒に招待されていました。
カミングアウトしたお客様や知り合いから、
今度は相方さんとご一緒に。。。とよく言われます。
相方の事を、ここ最近は本当によく聞かれます。
今日はまだ僕らが20代のころ、
まだ彼と付き合う前の出来事を投稿します。
これが現実のボーイズラブです。
20代の僕がどうしようもなく荒れていた時、
支えてくれたのは相方でした。
相方に特段の感情なし
彼は真面目でソフトな人間です。
当時仕事で静岡にいた彼を初めてみた時から、
ああ、この人ゲイだなあと感じましたが、
一見すると、普通の男性です。
彼と初めて会ったのは、
僕あ24歳の時、彼が27歳の時であり、
今となっては時が流れましたが、イイ男だったのです。
俳優の林遣都のような顔つきで、
割と冷たい感じがして、それがまたスパイスになってよし。
車の助手席を空けてくれるから、
そんな姿に僕はびっくり。(今はしてくれません。。。。)
しかし、話すとソフトな感じで非常に好感がもて、
連絡をミクシイを通じてやり取りしていました。
彼は東京のど真ん中出身ですので、
僕よりもゲイの世界には長けていたのでしょうね。
僕も彼もフィギュアスケートが大好きでした。
僕は安藤美姫の2006年スケートアメリカの3Lz+3Loが大好き。
彼はちょっと古いですが、長野5輪の
タラリピンスキーの3Lo+3Loが大好き。
今でもまだなお、日本の女子選手で、
3Lz+3Loや3Lo+3Loを行う選手はいないでしょう。
セカンドジャンプがトリプルループという部分がツボでした。
3連続もループループだと、更に盛り上がる。
よく2人でスケートの話で盛り上がっていました。
しかし、何回か会っていたのですが、
特段、恋愛感情等はなく。
事件は忘れもしない、2009年8月に発生しました。
ミックスルームに連れていかれる
税理士試験を終えたお盆、
彼と新宿2丁目であった際、
何だか本屋でずっとチェックしている。。。
聞いても、ちょっと待って。しか言ってくれません。
僕は丸井で買い物をしたかったので、
段々と退屈になってきて、はあ~と思っていたら。。
突然、じゃあ、行こうと。。。。
「えっ?どこへ?」
いいから。いいから。と僕を案内していき、
普通のやや広めのアパート?に(確か14時ころ)到着。
奥は真っ暗闇。
え?何?
と僕は不信に思いながら相方と中に入ると。。。
中の間切りで仕切られたブースから、
「15時からです。あと15分中で待ってください。
服は脱いでシャワーもいいですが、セックスは我慢してください。」と。。。
えっ?
セ、セックス?
しまった!
完全に僕は油断していました。
ここは2丁目。
そこは広めのアパートの1室ですが、
いわゆるミックスルームだったのです。
相方はオレを、よりにもよって、
ミックスルームに連れてきやがったのです。
ミックスルームで万事休す
当時の法律のことは不明ですが、
ミックスルームとは、
暗闇で不特定多数と男と行為をする場です。
有名なものは新宿24ですが、
あそこはそれなりのフロアと広さがあります。
何回か利用したことがある24は、
好きな人を見つけてマンツーマンですので、
不特定多数は。。。ねえ。。。
相方が僕を連れて行った建物は、
広めの普通のアパートです。
この人、オレとそういうことをしたかったの?
何だかちょっと、僕は残念な気持ちに。。。
しかし、同時に、そうか、この人も男なのだなあと。。。
でも、ちょっとそういう気分じゃなかったんだよね。
普通のアパートの広さの風呂でシャワーを浴び、
中でパンイチで座って待つ時間の沈黙が。。
えっ、マジでここですんのか?
布団がペチャンコだし、
何だか体液くさいような、はあ。
昨日、今日のゲイではなかったものの、
不意に不特定多数となると、僕も心の準備ができていません。
しかし、他に人も居ないしなあ、まあいいか。と思っていたら、
「はい!いいですよ。」と案内が。。。
管理人からコンドームを渡されて、遂に暗闇へ。
パンツを脱いで全裸で暗闇に入り、お布団に横になりました。
う、うわ!
こ、こいつ(相方)の股間は既に準備万端。。。。
しかも結構、ふ、太い。。。
僕もいよいよ覚悟を決めて挑むと、
なんと後から2名、3名の客がやって来ました。
ふ、不特定多数じゃん!
見知らぬ男が「すみません。いいですか?」と問うと、
僕は「えっ?」と返したのですが。。。
見知らぬ男はややガタイがよく、
「失礼いたします。」と僕の脚を広げてその体制にしてくる。
生暖かいぬるっとしたものがあたり、
僕はあっさりと、自分のペニスを確保されてしまったのです。
(割と下手っぴいだったけど。。。)
僕はそのややガダイが良い男性に捕らわれ、
その男性は、僕の腕を抑えつけたのです。
男性の力って、凄いですよね。
僕は割と小柄だから、普通の体系の男性よりも腕力が弱い。
だから、ちょっと大きい男性に押さえつけられると、
びくともしません。
体が小さめの僕の腕力では、
並みの男性に全く抵抗できません。
そして、そいつは自身の準備万端でホットな棒を、
僕のお尻のホールに密着させてきたから万事休す。
うわ!
完全に当たってる。
いきなりかよ!
イントロダクションもプロモーションもなしかよ。
おいおいおいおい、生は冗談じゃないぜ。
しかしながら、この状況は受け入れよう。
でも生はやめてくれ。
焦っていたら、相方がその男に向かって、
「2人きりにしてくれませんか?」と。
そしてその時、僕はあたかも蛙のような恥ずかしい姿で冷静になりました。
だったら、ラブホで良かったんじゃね?
なんでミックスルームに連れてくよ。
しかし、相方も相変わらず準備万端な姿であり。
冷静に口にしたくせに、ペニスはギンギンかよ。
やっぱり、まだ、ふ、太い。
しかもビクビク脈うってやがる。。。
こいつ、やっぱりオスだ。
は、入るのか?
ただ、危機を逃れた僕も安堵の思いから、
その場の雰囲気に流され思いの他、盛り上がってしまい。。。。
その後のミックスルームので出来事は、
読者のご想像におかませします。
そして年が明けて2010年1月1日に、
新宿2丁目のドトールコーヒーで彼から告白されました。
僕の彼氏になったその晩は、
社会通念上の清潔で綺麗なホテルに宿泊しました。
ミックスルームのその後
後からなぜミックスルームだったのか聞いたら、
僕とセックスをしたかったけど、
他にどうすればいいのか、思い浮かばなかったから。と。
えっ?
だったら、率直に言えばいいのに。
もっと他に清潔な手法があるだろ?と思いました。
ミックスルームはないだろ。
しかし、終わった後、シャワーを浴びて風呂も入り、
ホッカホッカで歩いて話をしていて、
そんなに悪き気もしなかったのです。
まあ。一発(あ、2発か。)やったあとだったので、
スッキリしていたのでしょうね。
付き合い初めて当初、
僕は勤務先の後輩が好きでしたが、
彼はそのことを知っていました。
ノンケに恋してブロックされて落胆。
その事も理解した上で、一緒に居てくれたのです。
当時はまだ税理士試験を受験していましたが、
過度な応援をしないのですよね、彼は。
受験前日に「頑張って!」というメッセージだけだし、
5科目合格した時も、「おめでとう!」だけ。
しかし、2019年に一緒に暮らすまでの9年間、
雪の日に高速バスで静岡に来てくれたり、
2カ月に1回は車で静岡に来てくれました。
一緒に暮らすまでの9年間、常に遠距離でしたが、
いろいろな場所へ連れて行ってくれました。
海外出張の時は、毎回お土産を買ってきてくれて。
僕は圧倒的にワガママであり、
しかも直ぐに男に捕らわれるドスケベしたが、
彼は余裕で承諾してくれるから、僕も甘えてしまい。
だからせめて、彼以外の男性とは関係を持たない。
また、税理士資格だけは、彼と一緒に暮らすその時まで、
温めておこうと決めたのです。
だから相方のことが大好きです。
こうやって改めて書いてみると、
普通の異性間カップルの恋愛そのものです。
僕らは9年間、静岡滋賀の遠距離恋愛をして、
ようやく一緒に暮らすことになった歴史があります。
彼がいなかったら、僕は税理士登録しなかったですし、
独立開業もしませんでした。
2年前に自分の両親にカミングアウトした理由は、
人生のパートナーに選んだ彼の事を知って欲しかったです。
普通のカップル同様に何ら変わらず、
(当時は13年間)積み重ねてきた時間を知って欲しかったのです。
これは通常の異性間カップルなら、当然の思いでしょうね。
だってさ、自分の普通の異性間カップルは、
親に紹介したいと自然に思うじゃない。
それはオレたちだって一緒ですよ。
オレだちだって、自然にそう思うのですよ。
若い頃に、死んだように生きろと言われた際、
オレは心底腹がたった。
世の中にはオレたちに対し、
自分たちが幸せならいいじゃないの?という人もいますが、
そんなの大いなる愚問だね。
自分たちが幸せならいいじゃないの?と、
オレも例外なく言われたけどさ。
そういうあなたはさ、
どうして配偶者を親族に紹介して結婚したのかって話よ。
自分たちが幸せならいいじゃないの?と言いつつも、
なぜ民法上の結婚したのですか?って話ですよ。
なぜ両親、親族、友人、会社、社会に、
当然のように普通に祝ってもらったんだよ?って話ですよ。
お前らが享受したことを、
なゆにえ、オレ達に制限するのかわからないね。
自分たちが幸せならいいじゃないの?という命題は、
全く合理性がないじゃない。
自分たちが幸せならいいじゃないの?なんて、
オレたちを抑制して、現状の均衡を保つだけの謳い文句だね。
オレたちだけ両親や親族、社会から祝福されないなんて、
オレはそんなの到底納得できないね。
生物学上の不条理なんて理屈を持ち出しても、
オレたちは納得しませんよ。
だからオレは、カミングアウトされる側の気持ちなんて一切考えません。
オレたちだけが気を遣う必要なんて、
全く合理性がないからだ。
オレたちは長年抑圧されても、
忍耐強く我慢してきたのですよ。
貴様らにこの思いがわかるものか。
死んだように生きろなんて、
よくもオレにそんなことが言えたものだ。
オレはこれ以上我慢して死んだように生きるなんて、
馬鹿馬鹿しいったりゃありゃあしないね。
という風に、20代の僕はかなり荒れた時期もありました。
左上腕には、まだ深いカミソリの跡が沢山残っています。
相方をそれを見ても、
「フーン、よしよし。」程度しか言わなかったですよね。
しかし、そういうさっぱりした相方がいたから、
乗り越える事もできました。
精神を保つことができ税理士試験をパスできたのは、
相方のおかげでしょうね。
僕の心身がどうしようもなく荒れた時期は、
わざわざ雪の中、静岡に来てくれたことも。
でも僕のことを支えてくれたのは、
彼も僕と同じように苦悩を抱えていたからだったのだと、
今となっては俯瞰することができます。
だから僕は相方の事が本当に愛しています。
言葉に出さないと伝わらないから、
僕は言葉に出して愛していると伝えています。
お互いに暗い部分を抱えて支え合いながら、
相方と16年目を迎えています。
まとめ
ミックスルームの後、
(夜)僕は新宿でゲイの友人と会いました。
友人は相方と共通の友人です。
相方は用事があり、帰ったのです。
友人と会った瞬間、当該友人は、
「あんた、やってきたでしょ。」と。。。
なぜわかったのか?というと、
いかにも風呂あがりでスッキりした感じだったこと。
そして、あろうことか、首にキスマークが沢山だったからです。
全く気付きませんでした。
彼はとてつもなく不機嫌になり、
夕食してバイバイするまで、ずっと怒っていました。
僕は理由がわからず、他のゲイの友人に相談すると、
一発済ませた直後に会いたくないでしょ、普通。と。。
えっ。そういうものなの?
そういうこともあり、その後音信不通になってしまいました。
相方も彼とは連絡が取れなくなったようです。
しかし、1つ誤解があります。
一発済ませた直後ではありません。
2発済ませた直後です。
時々、この時のことを相方と思い出して話しています。
彼にあの頃のペニスの太さはありませんが、
まだ人並み以上の太さだなあと、割と自慢です。
長いより太い方が、僕は好きですからね。
今となっては、いい思い出です。
彼が僕をミックスルームに連れていかなかったら、
僕らは今、一緒に暮らしていなかったかもしれません。