結果を重んじることの意義。過程も同じくらい重要である。
昨日の朝、海外のニュースをみていると、話題な事はもちろんサッカーでした。
多くの報道があるよう、後半のゲームの仕方に対する賛否でした。
僕は幼いころから野球をやっていましたが、その教えは正面からぶつかるという事でした。
有名な漫画でいうと、一本とらねば一本とられるという事ですね。
さて、これには日本でも多くの賛否があります。
しかし目的を達成するためにされた策でもあります。
もちろん、その考え方は人それぞれなのでしょう
さて、この目的を達成するために。。。ということを考えたいと思います。
試験の結果と過程
税理士試験の相続税を受験していたとき、よく最後の納付税額まで必ず埋めろと言われていました。
納付税額を書かないと、採点されない。
実際はどうかわかりませんが、そんな至難の業はできないよと当時感じました。
(他の受験生は、一体どうしていたのでしょう?)
相続税の納付税額にたどり着くまでには、まず全ての財産評価が解けていることが前提ですよね。
配偶者に対する税額軽減も、その計算過程が採点対象と言われてました。
要するに、わけのわからない財産評価の問題は、適当な数字を書けということか?
株式評価も適当にでたらめでもいいから、とにかく書けということか?
(株式評価なんて、最終値の算出はまず不可能でした、僕は)
この時、一度税理士試験を辞めようと思いました。
そのでたらめの答案に、なんの意味があるのだろうか?
まだ青かった当時、試験自体をとても疑問に感じました。
合格には、そのようないわゆるテクニックが必要なのかもしれません。
まあ確かに、合格するためなら、それくらい安いものと多くの人は思うのでしょう。
人生かけて挑んでいるわけですからね。
本試験で適当な数字を書く時間が無駄なような気がして、そういったことはしませんでした。
でも、最終値を書かなくてもしっかり合格しました。
仕事の結果と過程 銀行時代
銀行に勤務していた時、アパートローンが他行と競合してしまいました。
アパートローンというと、大体5000万以上、多くて1億程度の融資ですからね。
僕もどうしても獲得したいと思いました。
しかし、当時まだ2年目の僕の戦闘力は対外的に見て低かったのですね。
詳しい事は書けませんが、ほぼ粘り勝ち作戦で獲得しました。
その時はやったーという思いがありました。
目的達成ですからね。
しかし、すぐにどこか空虚感が漂ったことを覚えています。
自分の実力で獲得したとは到底言えないからですよね。
確かに目的は達成し、営業マンとしては成績が上がったかもしれません。
ただ、その過程は自分にとって、何の血や肉にもなりませんでした。
目的の達成の仕方も考え物ですよね。
成績は会社にとって大切だと思います。
しかし、それが社会全体の利益にならない。
営業マンの財産にならない。
それでは悲しいですよね。
仕事の結果と過程 会計事務所時代
仕事って、結果がすべてと言われがちです。
過程がどうであろうと、結果が悪ければ意味がない!
社会は厳しいものですね。
この仕事をして10年になりますが、税務の仕事に関しては、過程が大事だと考えています。
紙に書いてとか、コツコツ処理をしてなどではありません。
どう考えて、複数の選択の中から、その人に合致する最良の判断をどう下したのかということです。
それが結果に直結するじゃないか!
と言われるとそれまでですが、無数に存在する解答の中から、それぞれに合う最良の判断を自分の脳みそで考えるということが、醍醐味のように感じます。
この教えは、以前の事務所の先輩から教わったことです。
「それぞれの人に合った最良の判断」
という事が、心に響きました。
AIに勝つ部分をいうのは、ここなのかもしれません。
まとめ
個人的な意見としては、昨晩のゲームの仕方は好きではありません。
結果は確かに大切だと思います。
しかし、そこに至るまでの1つ1つの過程が結果を形成するのであれば、過程こそがもっと重要視されるべきだとも言えます。
ここ数年で、日本はいい意味でも悪い意味でも、世界から注目されています。
経済や文化、慣習や風習のみならず、その振る舞いも注目されているようです。
決勝トーナメントでは、思い切ったゲームをしてほしいですね。