死に際にどうしようもない後悔はしたくない

先週金曜から静岡へ帰省中、元同僚やザ・後輩、友人と食事へ。

当然、近情の話になりますが、たかだか半年間に、

僕の知り合いや前職のお客様が5名ほど亡くなりました。

 

今年の3月までは元気で話していたのに。。。

命の宣告をされてからの思いについては、僕は全く想像ができません。

 

死の直前の思いとしてよく取り上げられる1つに、

「もっと挑戦すればよかった、思った通り生きればよかった。」

という文言を目にします。

いずれも否定ではなく、肯定の文章です。

 

今の自分の生き方、生活、考え方は、死に際に後悔しないのでしょうか?

周囲の反対があった選択

今月初め、大学の時代のエリートが滋賀の守山に出張だったので、

わざわざ連絡をもらい食事へ行きました。(単なる飲みでした。)

 

大学時代は同じサークルで同じ学科だった為、仲良くさせてもらい、

若くして結婚と子供をもうけた彼の結婚式へ出席しました。

結婚式では、事情により彼の両親は出席していませんでした。

 

僕は当時、結婚に踏み切った彼の思いを想像できませんでした。

常識を語るつもりは毛頭ありませんが、両親とは仲良くした方がいいのでは?

と、当時は僕も堅苦しい考えを持っていました。

 

しかしそれ程深くは考えず、「まあ、そういう人生もあるよね。」

ってことで深入りはしませんでしたが。。。

 

そして13年の月日が経過し、今年の4月、

今度は僕が両親との相違を交わし、ササっと滋賀県へ転居しました。

 

ええ、帰省すれば聞かれたくない事も当然聞かれますし、

ひ弱な僕でも口論になるのでしょう。

なので、この3泊4日も実家には帰ることができず、

ゲストハウスだのINNだのに宿泊。

 

ええ、今は13年前の友人の思いが大いにわかります。

さすがエリート。当時24歳にして、僕より格段に自分に正直だったんですね。

ただ、彼も僕も、自分の意志に反する選択枠はありませんでした。

自分が意思なら他人のせいにはしない

他人の言葉ですが、家族って厄介です。

血縁関係が濃い程切り離す事が出来ず、直系血族ともなれば言うまでもなく。。。

そんな事は、遺留分減殺請求の争いをみていれば明らかです。

 

親族間は仲良く連絡を取り合う事が一番いいし、

「体が弱くなった後、誰もいなくなっても知らないよ!」

 

といったネットの声もあります。

その時の感情ので全て決めてしまい、自己責任だ!という意見も。。。

 

「子供を産まない生き方。」

「法的な婚姻関係を結ばない生き方。」

 

「シングルとして生きる人生。」

「好きな人と生活をする。」

といった、生き方そのものに関わるチャレンジについては、

日本の世間は非常に厳しい目を向けます。

 

しかし、自分の余命が宣告された時、

自分がもうすぐ死ぬと認識した時に、

「〇〇すればよかった。」という後悔ほど恐ろしい事はないと感じます。

 

だってもう、どう考えたって、そこからでは取り返しがつきません。

 

自分が死ぬ!と発覚した時、取り返せない後悔をしながら死んでいくなんて、

想像もできないことです。

 

よく同僚と友人とする会話の中で、

自分で決めたことなら、主観的にも客観的にも失敗だったとしても、

「まっ、しょんないっしょ!オレが悪いし。」

って思うかもしれません。

 

というより、自分の決断が大いなるハズレだった場合、

自分以外の誰の責任でもありません。

 

死に際にどうしようもない後悔をするのであれば、

「まっ、しょんないっしょ!」って思いながら亡くなる方がいいかな?

 

という宴会を深夜3時まで深酒をしながら開催し、

まだ頭がガンガンしながらこのブログを書いています。

まとめ

立て続けに亡くなられた方がいた為、この4日間は少し驚きました。

どんな思いで過ごされたのか、僕には全く想像ができません。

僕は死ぬときに、多分沢山後悔するんでしょうね。

 

しかし取り合えず、

「開業すればよかった。」

「引っ越せばよかった。」

といった後悔はせずに済みそうです。

最新の税務記事

2019.09.23 アフィリエイター、ブロガー、YouTuberの所得税確定申告その2。アフィリエイト収入に関する経費性の判断について

今日の言葉

my last moment:死に際

买单:お勘定 ピンインはmǎidān!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です