同性婚を認めないは合憲の裁判の判決文にびっくり!同性間カップルの不利益は解消などしていない。

昨日の夜のニュースで、

たまたま同性婚の判決のニュースが。。

 

ゲイのくせに、そんな裁判知りませんでした。

ええ!税理士たるもの大切なことは結果ではない!

判決文だ!

 

さっそく判決文を読んでいると、

判決分の最後にはこんな文言が。。。

 

同性間カップルと異性間カップルの享受し得る利益の差異は、

相当程度解消ないし緩和されつつある。

だってさ。。。

 

ええ?相当ってさ。

相当の地代で意味する相当って意味でしょ?

 

こんな判決文を考える人は、

存在が気持ち悪いから、

明日から死んだように生きろなんて言われた人の気持ちなど、

絶対にわからないのでしょうね。

 

 

 

 

同性婚よりも相続税1.2倍が嫌だよ。

 

 同性婚なんてどうでもいい

18時のニュースでたまたま同性婚の判決を目にしました。

「棄却です!」という結果を聞き、

僕は「ふーん。でしょうねえ。」と。

 

僕はゲイで相方と暮らしていますが、

同性婚なんてどうだっていいです。

 

???と感じることが多いからです。

 

「婚姻により当然に享受できる相続や財産分与、法令上の利益、

 第3者に対するお互いの関係の承認欲求」

という意見は、確かに僕もふむふむ。と思う。

 

しかし、なぜかそれらが、

「結婚の自由を!」に変換されてしまい。。。

 

あれ?趣旨違わない?と思うのは、

オレだけだろうか?

 

結婚することが問題の本質ではない

僕は同性婚なんてどうでいいです。

ゲイのくせに、どうだっていい。

 

だからノーマルな方だったら、

尚更どうだっていいでしょうね。

 

相続税1.2倍なんて嫌です。

遺留分侵害額請求なんて嫌です。

 

遺留分なしなんて冗談じゃない。

包括遺贈の信ぴょう性が問われるなんて嫌です。

 

配偶者に対する相続税額の軽減なしの規定は、

子の扶養は関係がないはずだ。

 

配偶者と共に気付いた財産というのあれば、

同性間には適用なしはあまりに理不尽だ。

特定贈与財産も同様。

 

ノーマルな人は、ニュースの見出ししか目にしない。

なぜなら、自分には関係がないからだ。

 

結婚の自由を!

などとホンワカ〇〇映えするスローガンにしてしまうと、

考えるべき制度上の問題は、

普通の人には全く伝わらない。

 

自分に関係がないとそれ以上考えず、

結婚は男と女の有性生殖の維持が目的だから。で終了。

 

問題や争点の本質が常に隠れて伝わらず、

結果的に世論は僕らの我がままと認識し、

死ぬまで我慢して生きてください。に。。

 

死んだように生きろなんて、冗談じゃないよね。

 

一方的に同性婚を認めさせるのではなく、

ゲイやレズが抱える根本的な問題を世間と共有しない限り、

本当の意味で受け入れてもらうことなんて無理です。

 

一方的に法律を制すれば、

余計に僕らが孤立していくだけです。

 

平成22年以降の度重なる消費税法改正のように。。

 

もっと違う角度からの攻め方があったのではないかと、

独断と偏見で思っています。

 

明日は突然変化しないことはお互いさま

今年の春先以降、相方と出かける際、

進んで節度をもって適度にちょっかいを出します。

 

先日は長浜や米原、近江八幡で、

人が居ない場所で手を繋いだり。

草津近鉄でニコニコしてみたり。

 

彼は会社の人に見られることは嫌い、

「人が見ているから。。」という感じですが、

そこまで嫌がってもいません。

 

好きな人となら人前で手を繋いだり、

腕を組んだり、第3者から承認されたいという思いは、

異性間であれ同性間であれ変わらない。

 

カップルであれば、

性的な事をしたくなるのも異性間と変わらない。

 

当たり前ですが、変わらないのですよ。

 

仮に同性婚が認められても、

突然何かが変化するわけではない。

 

大した問題ではないから、

実際の社会は何も変わらないと、

台湾の最高裁は判決をしましたが。。。

 

何も変わらないのは社会だけでなく、

ノーマルな人間の認識も同じです。

 

同性婚が認められても、

周囲の考え方が突然変化するわけでもない。

 

明日から国民全員が一転して、

「おめでとうございます!」

になんて理解が深まり、受け入れる心境に変化するわけないでしょ。

 

同性婚が認められても、

突然何かが変わるわけではないというのは、

LGBTもノーマルもお互い様。

 

異性間カップルと同様に振舞いたいから同性婚!

というのは、僕はあまり理解できません。

(異性間カップルと同様に振舞えたら、どんなに楽かと今でも思います。)

 

問題の本質は、そこではないはずです。

 

 婚姻の臨む本質に焦点をあてるべき

結婚を自由に!と宣言すると、

問題の本質が隠れがちです。

 

ゲイである人間が悩む事は殆どが皆同じ。

 

公証されず認知もされないからこそ、

僕らの秩序は乱れがちであり、

判決分の自己肯定感や幸福の源泉すらありえない。

 

だからパートナーがいるにも関わらず、

他の人と簡単に関係をもってしまい、

破綻することは異性間よりも容易です。

 

そんな社会がナイスであるはずありません。

 

僕は傍観しているだけですが、

訴訟を起こすのであれば、

ノーマルな人にも理解される提起が必要だと思う。

 

しかし、判決分を読んでびっくり!

 

裁判所は判断できません!

日本国民に委ねます!

 

という他力本願で元も子もない結論を出してしまう日本の裁判官は、

ある意味優秀だと思います。

 

 まとめ

たまたま同性婚のニュースを見て、

思うことを投稿してみました。

 

オレは19歳の時に告げられた、

存在が気持ち悪いから、明日から死んだように生きろ。

という言葉を根に持っています。

 

言い返せなかった、不甲斐ない自分が悔しかったのです。

たぶん一生忘れないと思います。

 

万が一、相続税1.2倍になったら、

国税不服審判所へ行こうと思います。

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