葬式は時間とお金の無駄。何て浅はかで冷たい人間なのかと思います。

税理士試験に合格した年はちょうど10年前。

その数カ月前に祖母が他界。

 

もう少し頑張ってくれれば、

僕の晴れ姿が見れたのに。。。

 

故に、祖母が亡くなってちょうど10年です。

95歳の祖母でしたが、葬儀は大々的に行いました。

 

それ以来、僕は当たり前のように葬儀を行うことに対して。。。

 

良いじゃない。

周囲に同調して、何を無駄とか言ってんのよ?

と古い考えにシフトしています。

 

 

 

 

人間最後のセレモニーも大切です。

 

 葬儀の手配にビックリ

祖母が亡くなって、初めて葬儀の手配を経験。

 

仕事を早退し、病院で手を合わせ、

その日のうちに葬儀屋とスケジュール、見積調整をして。。。

 

そのハイスペースなスケジュールに驚きました。

つい1時間前までは、手を合わせていたのに。。。

 

亡くなってまだ3時間程なのに、

実家で葬儀屋さんが、モバイルプリンターから、

カタカタカタと見積とスケジュール表を印刷する光景が、

なんだかなあ。。といった感じでした。

 

そりゃ、確かに死体をそのままにしておけませんよね。

日々、亡くなる方もいるのですから。

 

ですが、仮に大好きな人が闘病の末に亡くなったら、

キリッと頭を切り替えることなんて無理です。

 

しかも、お見積もり。。。

た、高い!

最も安いプランにしてください。。。

 

亡くなった方の前で、

現実的な金銭の悩みをすることが、

なんだかなあ。。。と。

 

亡くなった日の忙しさにビビりました。

悲しむ時間などない事に、???という思いでした。

 

こんなことなら、葬儀なんてやらなきゃいいのに。

従前より思っていましたが、

その通りだなあと、その時は思ったのです。

 

 葬式は人間のストーリー

そんな事もあり、通夜や葬儀は面倒くさい。

通夜当日から、ああ、面倒くさい。と思っていました。

 

しかし、通夜の日になるとビックリ!

ただの95歳の婆さんなのに、滅茶苦茶人が来る!

 

やや小さめのホールだったこともあり、

急遽、追加の椅子等を用意。

 

当然、通夜に来た人が誰なのか僕は分かりません。

 

白髪でヨボヨボの杖をつくご老人が、

わざわざタクシーに乗って通夜に見えられた方も。

(新聞の訃報欄から知ったと思います。)

 

昔の人って、本当に粋ですよね。

体が悪くても、わざわざ訪問するのよね。

 

例えそれが単なる慣習であっても、

わざわざ足を運ぶ行為って、

嫌で嫌で仕方ないなら、絶対にしませんからね。

 

そういう方が何名かいたかと思うと。。。

 

介護施設の方が作ってくれた写真、

本人の若い頃からの写真など、飾っていたら、

懐かしんで見てくれた方が沢山。

 

当然、彼らが誰なのかも分かりません。

 

当時30歳でしたが、身内が亡くなり、

誰にでもストーリーがあることを知りました。

 

通夜や葬儀は無駄。面倒くさい。時代遅れ。

という風潮が正しいのかもしれません。

 

しかし、無駄。と切り捨てていた自分は、

浅はかだったと実感しています。

 

 世の中のスマート化に疑問

3年前に開業して以来、

オンライン化、スマート化、効率化、合理化に対し、

全くといっていいほど興味が薄れました。

 

会社員の時はアナログ大嫌いだったのに、

今はアナログこそ最先端だと思っています。

 

クソな僕も当然合理化ツールは使用していますが、

一般的な範囲内です。

 

もはやクラウド系のツールは普通であり、

スマートでも何でもありません。

 

スマート化に興味が無くなった理由は、

合理化・効率化が目的ではなく、

ただ面倒くさい。ただ無駄。横着したいからスマート化。

という考えに疑問を持ったからです。

 

コロナ初期のように、

必要に迫られたオンラインやリモート。

 

また、時間的拘束や過密の回避、訪問が難しい場合、

対面するスケジュール調整ができない場合、

即時の意思伝達ツールとしてのオンラインは、

非常に優れた方法だと思います。

 

しかし、ただ面倒くさい。無駄。横着したい。

というだけのスマート化は、

合理化でも効率化でも何でもありません。

 

また、強制されるオンライン化も、

何も合理化でも効率化でもありませんよね。

 

電子申告や電子帳簿保存が正にそれです。

別に紙でも電子でも、どっちでもいいじゃない。

 

誰も得をしない法律を制定して失敗して、

責任取れよって、時々思います。

 

合理化・効率化とかこつけて誤魔化して、

ただ退化しているだけです。

 

 葬式は無駄でも時代遅れでもない

通夜や葬儀は金銭支出を伴うし、

時間的・精神的労力もあるので、

僕も両親が亡くなったら行うか分かりません。

 

(多分、訃報にも出さず身内だけで行うのでしょうね。)

 

しかしだからといって、

通夜や葬儀は無駄。だとは思いません。

 

1人の人間が終わる時のセレモニーくらい、

心を込めて行ってもいいじゃない。

 

そこをただ面倒くさいから。

で終了する冷笑的な方とは、

僕は付き合わないし、

一緒に仕事なんて絶対にしません。

 

通夜や葬儀は無駄でもな時代遅れでもありません。

いいものです。

 

 まとめ

税理士試験合格=祖母他界から10年。

また、葬儀は無駄!というニュースを見かけたので、

今日は通夜や葬儀について投稿しました。

 

自分の子供や大切な人が亡くなって、

葬儀無駄。面倒くさい。

と言われたら、どうなのでしょうね。

 

僕は相方が亡くなったら、

自分1人でも葬式を行います。

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