GW特集ゲイの深淵シリーズその7。Relation of ゲイとセックスと心の深い闇。
このGWシリーズでは、
しばしば性的な表現を採用しています。
特に、通常は回避されがちな、
セックスという単語をよく使用します。
僕は口にすること、記載することに、拒否感がないからです。
食べる、眠ると同様、人間として自然なことだから、
真面目に考えて投稿しているつもりです。
そして、多様性という社会を本当に促進するのなら、
少なくとも僕らゲイにとって、
もっと真剣に論じるべき、考えるべき側面だからです。
ゲイにとってSEXは日常
ゲイライフと快適に送るために、
セックスという論点は切り離せないでしょう。
僕の世代の出会いツールというとミクシイ。
地方ゲイにとって、ミクシイの登場は衝撃的。
それまで文通や掲示板が主流だった出会いの場が、
一気に日本全国に広まった根本でもあるから。
僕もミクシイを通してゲイと知り合いました。
当時の言い方ですと、よく新宿でリアルをしました。
静岡では、青葉公園や丸井前で待ち合わせなど。
同じゲイと公然と待ち合わせ・出会えるなんて、
高校の時には考えもしませんでしたからね。
しかし、対面して知り合いになると、
なぜかいつの間にか、当然のように肉体関係を結びます。
勿論100%ではありません。
共通の知り合いであるにもかかわず、
お互いのぞれぞれ肉体関係があり、
それをさも普通かとしていることに、
違和感すらなかったのです。
人それぞれなのでしょうが、僕にとって、
友人や知り合いとのセックスとは日常だったのでしょう。
そこに何ら恥じらいや特別感はありません。
僕の相方ですら、ミックスルームですからね。
そして知り合ったゲイの方も同様だったかもしれません。
だから僕らが肉体関係を結ぶことは、
異性間と比すると、圧倒的に垣根が低いのです。
しかし、知り合った方と話しをしていると、
これは良くないぞ。と思うことも。
当該肉体関係には、愛情がありません。
相手を思いやる気持ちがありません。
それが単純な性欲の解消であれば、まだ健全な方だと思います。
問題はことは、寂しいからという理由で、
肉体関係を軽々結んでしまう場合です。
空虚感がたまらない
10代の頃とは異なり、20代にもなると、
性欲もそれなりに成熟し、コントロールできます。
特定のパートナーがいる場合、
彼とのセックスは、ただの知り合いとのそれとは、
圧倒的に精神的な満足度が異なります。
しかし、友人や知り合いと肉体関係をもった場合、
行為後の空虚感が半端ありません。
生活に彩をもたらすはずのセックスが、
なぜか虚しさだけが残る行為になりがちに。
ゲイの方でしたら、誰もが経験すると思います。
つまりは、男性間の性行為の場合、
明らかに有性生殖ではないことを自覚できるのです。
しかし、人肌が恋しいため、同様の行為を繰り返し、
更に虚無感に苛まれる悪循環。
相手は自分を一時の性欲の対象として判断しておらず、
自分に対して本当の意味で、何の感情もありません。
ただ重きをなす部分は、
ペニスとケツだけなのですよね。
肉体関係を交わすということは、
そういうことになり、
割り切りの関係になってしまうのです。
僕は税理士試験(簿記論に大苦戦!)がうまく行かなかった時、
そんなことを繰り返していました。
そして、ゲイの知り合い等に会う際、
そのような状況を目にしてしまい、
当時の自分を俯瞰したことがあります。
今でもよく流れてくるSNSを見てしまった時、
思うことがあります。
ああ、この人、きっと、寂しいのだなあと。
しかしながら、その寂しさを肉体関係に求めてしまうことは、
健全ではないと感じます。
その過程を経験したとしても、
最期には強い意志を復活させてほしいなあと感じます。
僕らは簡単に肉体関係を許してしまいがちだから、
本当に大切なパートナーができた時まで、
乱用や消耗は避けて欲しいなあと。
多様性をプロモーションするのなら、
そこまで踏み込んで発信すべきでしょうね。
一時の関係に愛情なし
20代半ばの頃、なかなか簿記論が上手く行かなかった際、
年上の男性から声をかけられたことが。
僕もむらっとしていたので、
そのまま男性とラブホテルへ行ってしまったことがあります。
僕ですら、平気でそういうことをするのですよね。
相手はただ自分としたいだけだなんて、
即座に判断可能なのにね。
その後も数回会ったのですが、
決して悪い方ではないのです。
真面目な紳士な代表格だったのですが
僕自身のことなんて、一切、興味がないのです。
それは僕も彼に対して同様でした。
お互いに相手のことなんて、興味がありません。
食事を済ませてただ行為をするためだけに、
ホテルへ向かうだけです。
男性の性欲って時に強烈ですので、
乱暴で動物な時があります。
十分なプロモーションが無い状態だと、
ただただ痛いっすよ。
イントロダクションがないと、
受けは全然その気にならないし、
開くものも開きません。
事が済んだら、「はい、さようなら。」ですから、
人肌離れたら、虚しさ半端ありません。
それを連続していくと、
ますます精神的に疲弊していくのですよね。
僕らは今後もセックスをする垣根は低いでしょう。
男同士ですので、もともとの性欲があるから、
それを許可するのでしょうね。
しかし、そこには一定の闇を取り払う教育が必要なのだと思います。
虚しさを取り払うためにできること
僕は相方と一緒に生活をしていても、
時々、「意味がないのでは?」と思うことがあります。
彼が会社員という関係上、
日常は思いっきりすれ違いですし、
僕は土日仕事する派ですので、休みの予定が合いません。
長期の旅行等も1人ですし、
セックスの産物である子供はもてません。
そして、日本の多様性は表向きなものであり、
今の日本で同性婚はまず難しい。
まして、お互いの親族間で挨拶して家族になるだなんて、
まず稀な出来事でしょうね。
だから虚無感に苛まれ、自分達が一緒に暮らす事に対し、
何ら意味がないと考えることがあります。
一般的な異性間カップルは、
一緒に暮らすことに意味があるんだよ。と諭してきますが、
通常の権利をもつ彼らにどんなに励まされたとしても、
何ら心に響くことはありません。
だから僕らにとって、何らかのわかりやすい、
意味をもたせる制度って、非常に有用なのですよ。
このブログのように、意味がないことを継続することって、
本当に困難なのですよね。
だから意味がない、意味を見出せないゲイカップルは、
長続きしないし、パートナーと別れやすい傾向が。
それでは健全な個性を育むことは困難でしょう。
最近はネパールで同性婚がOKになったのですね。
日本で僕らが結婚できるようになることを願っています。
まとめ
先日顧問先様に伺った際、
このGWに息子様の結婚式とのことでした。
先方様の親族のこと、相手さんの事、式の服装・宿の手配など、
そのお話をする姿が、本当に嬉しそうでした。
なるほど。
結婚というのは、本人たちのみならず、
お互いの親族も幸せにさせるのですね。
スゴイことです。
だから当然に祝福されるのですね。
もしも僕と相方が結婚したら、
お互いの親族が確実に不幸になるだけです。
それはおそらくは、相方も気付いているのだと思います。
だから僕のことを、満足に紹介しないのだろうと、
僕も薄々と気付いています。