祝金の憂鬱。なんてこったい!今月だけで祝金150,000円の支出。今年は結婚祝い金の支出ばかり。

今年に入ってから、仕事関係やプライベートを含め、

おめでたい出来事が耳に入ってきます。

 

大学に合格した。

難しい資格を取得した。

希望する企業に転職できた。

結婚した。

子供ができた。

彼女ができた。

沢山仕事がとれた。

今日は○○の仕事を獲得した。

 

嬉しい出来事って、誰しも自分以外の誰か伝えたいのだなあと、

つくづく実感できます。

 

僕には誰かに伝えたい程、

心から嬉しいと思えることがありません。

 

 

 

 

人間は嬉しいことは他人に言いふらしたいものですよ。

 

嬉しいことは誰かに知ってもらいたいし伝えたい

前回と今回の台湾旅行では、

お客様1名分のお土産を購入してきました。

 

誰に手渡すかはその時の気分であり、

帰国してから渡す人を決めています。

 

今回もどうしようかなあ?

最近入籍した地元の友人に送ろうかなあ?

と考慮していたところ。。。

 

たまたまお客様からおめでたい出来事の報告を受け、

正にこういう時こそパイナップルケーキが最も適切!

と鑑み、お菓子を送りました。

 

パイナップルは縁起物ですからね。

お祝いこそ、Pケーキがベストです。

 

今年になってから身近で結婚や出産のお知らせを受け、

「これはご祝儀等の督促?」

と変に邪推してしまいますが。。。。

 

特に意識していなくても、嬉しい事って、

自分以外の第3者に知らせたいものですよね。

 

それは承認欲求とは異なり、

誰しもその意識はないものの、

嬉しいと出来事は、誰かに知ってほしいのでしょうね。

 

時々読んでいる士業関係者の個人ブログ、

Twitter等を傍観していても感じます。

 

仕事の充実や多忙な状況、新規案件獲得など、

世に発信している方がワンサカワンサカ。

 

確かに仕事を獲得すると嬉しいですし、

忙しく仕事が充実していると、嬉しいですよね。

 

僕は仕事の成約を発信することはしていませんが、

人間ってやっぱり、嬉しい事は誰かに知らせたいのでしょうね。

 

ご祝儀の書留や、お土産の宅配、

結婚おめでとう等の郵送を済ませた後、

そういえば、僕には嬉しいと思うことがないと気付きました。

 

旅行など楽しいと感じることはあっても、

誰かに伝えたいほど、嬉しいと思えることがありません。

 

funとblessingは全く異質です。

 

冷静に考えると、他人に対する祝杯など、

馬鹿馬鹿しくなってきました。

 

ハッキリいって、

他人の幸福など何ら自分に恩恵をもたらしません。

 

大学卒業後、今まで10回ほど結婚式に参加しましたが、

結婚式の主役は新郎新婦だから、

誰かに祝ってもらったことなど、記憶なんてしないでしょうね。

 

参加しない結婚式に2軒合計100,000円(@50,000円)のお祝いを無償供与してしまい、

なんてこったい。と自己嫌悪しています。

 

優しさは優しさで返せばいい

うっそうとした気分の中、サイクリングに出かけると、

信号がない田畑が広がる幅員が広い横断歩道を、

ベビーカーを押して渡る女性が。。。

 

滋賀県のドライバーは、マナーが超劣悪ですよね。

だからロードバイクの僕が率先して停止します。

 

そうすると、後続の普通車や大型トラックも、

僕に準じて停車するのですよね。

普段は歩行者優先なんてしないくせに。

 

結果、割と渋滞してしまいましたが、

そんなものはすぐに解消するので、

僕らが少しだけ気遣いすればいいだけです。

 

しかし、他人に対する気遣いは自分に帰りません。

 

だから、ああ、何だか馬鹿馬鹿しいと、

ペダルを踏みながらイライラしてきます。

 

僕はしばしば、お客様やプライベートで、

性的少数者が理解されるようになって良かったね。と、

社交辞令甚だしいことを受け取ります。

 

2015年以降によく目にする、

性的少数者に優しい社会。

LGBTQに理解がある社会。

性的マイノリティーが生きやすい社会。と奨励している、

一見素敵ですが実は誰も興味がないスローガンが極めて大嫌いです。

 

その○○に優しい、理解がある、生きやすい、

という文言が癪に障るのですよね。

 

よくネットの記事等で見かける、

子育てに優しくない社会、

子育てに理解がない社会も同様に嫌いです。

 

その母集団に属する当事者たちだけで、

思い通りにいかないことが発生すると、

即座に○○に優しくないと定義して、

○○を自分達に限定してしまう卑屈さが嫌いです。

 

だから、○○に優しくない、理解がない、もう少し理解を。

なーんて啓蒙活動すると、周囲はイラっとするのですよね。

 

本来は、全ての人に優しく理解があるが正解なのだと感じます。

 

○○に限定した優さではなく、目下、自分が受けた優しさを、

他の誰かに返すべきなのでしょうね。

 

僕が受けたお祝いというと、税理士試験に合格した時、

勤務先のお客様からいただいた金銭のお祝い金。

 

(勤務先からのお祝い金は後日、給与課税されたから、ぜんぜんお祝いじゃない。)

 

滋賀で独立開業した時に、

地元に友人からいただいたお祝い金ですかね。

 

だから結婚祝い金くらい、優しさを返そうと思います。

 

まとめ

もう1先の結婚祝いも、書留しようか悩んでいます。

今月15万円の金銭贈与かあ。。。

 

6月は顧問先様のリストラを予定しているので、

報酬が減るからウダウダ。。。

 

僕は仙人ではありませんので、

問答無用でリストラしますよ。

 

どうせ俺には結婚祝いなんてないからさ、

ATMで出金することが馬鹿馬鹿しいなあ。。。

 

贈答してもさ、祝ってもらった当事者なんて、

お祝いされたことなんて記憶しないからなあ。

 

でも知らせる必要がないことを、

わざわざお知らせしてくるなんて、

きっと心底 blessing なのでしょうね。

 

それか相当自慢したいだけの人間でしょう。

 

いずれの場合であっても、個人的には、

感情を素直に大いに表現する人間は好きです。

 

泣く泣く再びATMで50,000円出金することにしました。

 

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