法律で差別はなくらない。自分が変わらない限り誰も認めてくれない。

先週、名古屋でLGBTの関する裁判が。

 

画期的な判決だったようですが、

判決文をよーくよーく読むと。。。

同性婚はまだ。。。といった内容です。

 

しかし、世の中は既に変わったから、

国は変わるべきだよね。ハリーアップ!

 

という部分は、非常に画期的な判決でした。

既に変わったというニュアンスが、非常に大切。

 

しかし、僕は思います。

法律で差別を失くすことなんてできません。

 

まず自分が変わらないと、

誰も認めてくれません。

 

 

 

 

 

 ある床屋での出来事

先週の床屋さんでの出来事。。。

僕は床屋さんに、カミングアウトしていません。

 

別にさ、今更言う必要ないからです。

しかし、相方=嫁さんと嘘をついています。

 

ただ、ここ数カ月、「奥様」という単語を

問われることがありません。

 

そして先週、佐賀旅行の会話の時のこと。。。

 

オレ「12日間行ってきました。」

床屋さん「相方さんは何も(文句)言わなかったの?」

 

オレの心「あっ、相方?」

 

直接、事実を問われたわけではありません。

あっ!そうか。

ブログで知っていたんですね。

 

何事もなく会話を続けましたが、

その真意はわかりません。

 

しかし。そういう優しさが嬉しかったのです。

 

 ある飲食店での出来事

ある飲食店での出来事。

同様に、わざわざカミングアウトしていません。

 

別に行きつけの飲食店に、

カミングアウトしないでしょ、普通。

 

されても困るでしょ。

 

オレ「ご馳走でした。また来ます。」

店主「今度は相方さんと来てね。」

 

再びオレの心「あっ、相方?」

 

同様に直接、事実を問われたわけではありません。

また、ブログで知っていたんですね。

 

やっぱり、その真意はわかりません。

しかし、やっぱりそういう優しさが嬉しかったのです。

 

 自分が変わらないと誰にも響かない

僕がカミングアウトしなければ、

相方と一緒に暮らすために、

仕事をやめて転居して開業する行動をおこさなければ、

誰も何も思わないでしょう。

 

法律を強制的に施行した場合、

表面上の差別は無くなるかもしれません。

 

しかし、もしもその法令が、

ちょっと???な法令だった場合、

内心の差別は計り知れないものになるのでしょうね。

 

故に、変化を望むのなら、

自分から変わらないとはじまりません。

 

他人に依存した生きやすい空間は、

必ずしも自分にとって快適だとは限らない。

 

だったら、いっその事、

勇気をもってもいいのだと感じます。

 

 まとめ

LGBTの関する法案は、

全てのLGBTが望んでいることではないのでしょうね。

 

うざったい程のLGBT、LGBTの文字に対し、

もうさ、放っておいて!

と感じる当事者も多いはずです。

 

誰もが承認欲求があるわけではないからです。

しかし、僕は同性婚OKになったら、

結婚したいなあ。。。

 

憲法や民法が改正されて同性婚OK。

ただし、法定相続人や相続人は異性間に限る!

みたいな毒まんじゅうは止めてもらいたいものですね。

 

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