GW特集その1。ミクシイ’s revolution with deep impact on all ゲイ。ゲイとミクシイと重大かつ多大な革命。

ゲイの出会いのツールとして多大な役割があったミクシィ。

 

2004年から2009年頃まで、

ゲイの出会いの場は(多分)ミクシィでした。

 

しかし、あの頃知り合ったゲイのミクシィ絡み方々とは、

今は誰1人と繋がりはありません。

 

それでもミクシィが果たした役割は重大です。

僕らはミクシィをこんな風に利用していました。

 

 

 

10年前のマイドストライク!

こういう男性が大好き!

 

 

ミクシィはゲイにとって重大で革命だった

ミクシィでゲイ同士繋がるポピュラーな方法は、

1つはゲイのコミュニティに入ることでした。

 

自然に誰かからメッセージが来て自分と繋がります。

 

ゲイです!と公表しなくとも基本は匿名のため、

メッセージを送ることは構いませんし、

ゲイでないなら無視すればいいだけです。

 

しかも顔出しで当該コミュニティに参加することで、

ゲイです!とオープンにしてること同等ですので、

わざわざカミングアウトをする必要はありませんでした。

 

そして、気になった相手とメッセージをミクシィ内で交わし、

リアルをするというのが定番だった気がします。

 

相方との最初の出会いはミクシィではありませんが、

彼もミクシィをやっていたので、

暫くはミクシィ内でやり取りをしていました。

 

しかし、結局の所、90年代後半に社会問題になった出会い系同等です。

今風でいうと、マッチングアプリそのものです。

 

知らない相手とリアルをする約束をしてすっぽかされた。

そんな話もしばしば耳にしました。

 

カミングアウトしていないゲイ=匿名の方も多かったので、

今思うと、知らない相手と対面するなんて、

本当は怖いことだったのかもしれません。

 

そっちから誘ったのだから、一発やるでしょ?という事も、

ゲイの方なら珍しくありません。

 

僕自身もそれを期待していたこともありました。

簡単にヤリ友を見つけるツールとして利用していた方も。

 

しかし、いずれにしても、ミクシィが僕らにとって、

重大な変革だったことは間違いありません。

 

ゲイの出会い方というと、90年代初頭は雑誌の文通欄、

2000年初頭はインターネットの掲示板。

 

これらのデメリットは不確実性が高く、

そして目的達成の出会えるまで時間を要します。

 

縁が左右することも。

それゆえに、ミクシィは多大なインパクトがあったのです。

 

そこから即座にメッセージして、相手に出会えるミクシィは、

本当に革命的なツールでした。

 

しかも、簡単に不特定多数のゲイに目を目に触れることができ、

更には自分を醸すこともできたのです。

 

SNS初期だったので、インパクトが大きかったですね。

 

いかがわしいお店を利用せずとも、

出会った相手の部屋で行為におよぶこともできる。

 

圧倒的に出会いの場と情報量が少ない地方ゲイにとって、

ミクシィは無くてはならない媒体でした。

 

何故か出会えい系や文通、掲示板よりも安心感があったことも事実です。

 

インターネット媒体であるにもかからわず、

目に見える繋がりという意味合いで安心感があったのでしょう。

 

僕も同様ですが、顔出しをしている方がメッセージ等を貰えたので、

リアルをした方は、顔出し100%だった気がします。

 

え!

同じ静岡の生活県内に1人、2人、3人、4人のゲイがいる!

 

それまでは、ゲイが生息していることを知る事すら困難でした。

 

しかし、ミクシィにより例えば「静岡ゲイ!」というコミュニティにより、

周辺にいるゲイをリアルすることができ、

正にゲイにとって革命的なツールだったのです。

 

2007年頃は出会いを求めてよく利用しましたし、

土日はしばしば、ゲイの知り合いと遊んだりもしました。

 

男同士ですので、出会ってその日に早速一発やってスッキリ。

そういうことも普通だったと思います。

 

一方で、確実に変な方もいました。

 

22歳の当時、50歳の方と食事に行ったことがあります。

ダンディーですらっとしていて格好よく、

既婚かどうか聞きませんでしたが、整った顔立ちだったです。

 

シャツの下の引き締まった肉体が容易に想像でき、

若かった僕は、「あ、この後この人としてもいいかも。」と何ともふしだらなことを。

 

しかし、食事を終えた後、一気に気分が引いたのです。

エスカレーターを使用していた際、僕は並列で彼の右側に立ったのです。

 

そこは東京だったのですが、人も少なかったので、

エスカレータールールはあまり気にしていませんでした。

 

そして発せられた言葉が、

「ちょっとう!僕の隣に立たたないでくれるかな!」と。。。。

 

その後、彼は何事もなかったかのように、

一緒に軽く新宿で買いものをしたのですが、

僕はもう全く楽しくありませんでした。

 

エスカレーターのマナー?が気に入らなかったのか。

僕が並列したことがダメだったのか。

単に横に並ばれることが嫌だったのか。

 

いずれにしても、「僕の隣に立たたないでくれるかな!」に冷めたのです。

怒りもなく、ただただ、「そんな言い方するんだね。」とガッカリしたのです。

 

しかし、そんなハズレのリアルも楽しんでいました。

 

ほぼ新宿フラッグで待ち合わせが多かったのですが、

地元の静岡でも出会いを楽しんでいました。

 

あっ!こんな近くにゲイがいたのだなあと。

2005年から2007年頃までは、よくリアルをしていた記憶があります。

 

オカマ3人でキャッキャッしながら食事をしたり、

酔っ払ってしまい、夜の街で抱き合ってしまったり。

 

当時は楽しかったなあと、今でも記憶があります。

しかし、そんな日々にもやがて終わりが来るのです。

 

ネットの繋がりはただの知り合いに過ぎない

2009年になると、明らかにミクシィが衰えてきました。

「足跡」を廃止?制限したあたりから、

一気に衰退していった記憶があります。

 

2009年頃にもなると、リアルをすることも少なくなっていました。

 

頻繁にメッセージをしていたにもかからわず、ログインをずっとしていない。

そんな方も徐々に増加していきました。

 

理由は明確で、単に飽きたのですよね。

しかし、それだけが根底ではありません。

 

結局のところ、知り合った相手は所詮友人などではありません。

いわゆる、単なる知り合いだったのです。

 

深い付き合いをするわけでもなし。

感情に取り入ることもなし。

相手の事を思いやることもなし。

変な人・変わった人(自分を含めて。。)も多い。

ただ肉体を求めるだけの人も多い。

ドタキャンする人もいる。

 

心ではそんな風に思い始めていたにもかからわず、

会ったら会ったで気とお金を使わなくてはならない。

 

そんなリアルな出会いが、徐々に虚しくなっていくのです。

 

ネット上の促成栽培で優良で一生の関係など築けるはずもなく、

その事実を悟ることに多くの時間を要しませんでした。

 

そういう方も、多かったような気がします。

だからこそ、3日以上ログインなし。という方が増加していきました。

 

社会人となり一定の年齢に達した場合、

スポットではなく、信頼できる一生のパートナーを求めることは、

ノーマルではなくともゲイも同様です。

 

ミクシィのリアルは場当たり的に出会いには絶好ですが、

人生を共にする相手の模索には不向きだったです。

 

スポットの関係性を求めるには絶妙な媒体だったからこそ、

革新的だったように思えます。

 

清廉潔白な出会いを求めるのであれば、

新宿2丁目の方がまだピュアだったのだと思います。

 

勇気を出してまだ見ぬ世界へ!

 

ドキドキしながら新宿2丁目に1人で足を踏み入れた10代の時の方が、

圧倒的に真面目な感覚でした。

 

出会った方々は基本的に紳士であり、

変な方はいなかった記憶あります。

 

そしてゲイとしてミクシィというツールは終焉を迎えました。

 

こんな人が嫌だった

ミクシィで知り合った方では、嫌だなあと思う方もいました。

きっと相手も僕のことを「嫌だなあ」と思っていたかもしれません。

 

①オレあの人と性行為した自慢

②毎回毎回体を求めて来る人

③不機嫌な理由がわからない人(別にとか言う人)

④オレ年収〇〇なんだよね。と聞いてもいない自慢する人

⑤この後(僕とリアルした後)ほかの人と会うんだ!自慢する人

⑥トマトソースパスタを食べた後に公園でキスしてくる人

⑦車で駅まで送ってもらった時に、キスを要求してくる人

⑧明らかに巨体にもかからわず、ポッキー食べただけでお腹いっぱいとかいう人

⑨真夏に歌舞伎町から表参道まで歩かせる人(筋肉バカ)

⑩ミックスルーム(不特定多数の人と行為をする場所)に連れていくアホ(付き合う前の僕の相方です。)

⑪ハチミツトーストのハチミツが少ない!と店員にフォークを投げる人(秋葉原で)

⑫ホットペッパーのクーポン野郎

⑬ヤッタ後にほっかほっかのまま他のゲイに合う人(オレです。)

 

本当に変な人が多かったのです。

でもやっぱり楽しかったから、ミクシィは僕にとっての革命でした。

 

 まとめ

多くのゲイにとって、ミクシイは革命だったと思います。

繋がっていたあの人は、今頃何をしているのでしょうかね。

 

2009年の終わりを境に、ミクシイを一切やらなくなりました。

その理由は、税理士試験にようやく本腰を入れることにしたからです。

 

リアルの出会いにうつつを抜かし、4科目目の相続税法に2年連続落選したのです。

小規模宅地等の特例でさえ、僕は理論を覚えていませんでした。

 

当時、勤務先の会計事務所でごたごたがあり、

心を言えれ替えて半年間みっちり勉強した結果、アッサリ合格したのです。

 

しかし、ミクシイが無かった今の自分はありません。

ミクシイはゲイにとって革命でした。

 

 

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