賽銭のスマホ決済の賛否を問う。儀式としての賽銭投入よりも大切な事がある。

先日神社のお賽銭について、スマホ決済を問う議論を目にしました。

お賽銭というと、小さい頃から財布から小銭を出し、投げ入れる行為をしています。

 

僕は未だに賽銭をスマホで決済した経験はありませんが、

そういった寺院も増加傾向にあるようです。

しかし一方で「けしからん!」と反対の意見も!

 

賽銭をスマホで決済するのって、そんなにけしからんでしょうか?

 

 

painted by Ryusuke Endo

賽銭スマホ決済は反対の理由

スマホ決済反対の理由として多いのが、

「何となくご利益なさそう」

「賽銭はお金を出してするべきだ」

といった意見が大多数のようです。

 

確かに、財布から小銭を取り出して賽銭箱へ投げ入れる行為については、

「いかにも賽銭しています!」といった光景。

麻縄を掴み鈴を鳴らして参拝する姿は、どこか心が落ち着きます。

 

僕自身は、何でもかんでも電子媒体で行うことは、

個人的には好きな方ではありません。

 

あまりに非効率的で反環境的、そして仕方がない場合以外は、

残しておくべきアナログ媒体もあるのだと感じています。

 

小銭を取り出して投げ入れて、神様に祈りを捧げる姿はとても高貴な儀式であるし、

長年続いてきた、体に染みついている良い文化だと感じます。

 

そこで今からスマホで決済!

となると、どこか寂しい気が気持ちになる事は多いに理解。

 

しかし、投げ入れる行為だからこそご利益があるんだよ!といった感覚は、

どこか的が外れているような気もします。

儀式としての賽銭の投げ入れ

スマホではなく、小銭を投げ入れる行為の方が好かれる理由として、

おそらくは、賽銭という行為自体が、誰もが気軽に行える礼拝儀式の1つだからです。

 

神に自分の祈りを捧げる一連の行為として、賽銭は誰にでもわかりやすい最初の儀式。

その後手を合わせて目を閉じて、祈りを捧げて礼拝をする。

 

日常誰でも気軽に行うことができる礼拝の儀式ですが、

スマホ決済になったからといって、それらが変わってしまうわけではありません。

 

変わることは小銭を投げ入れる事がだけであり、

礼拝をする事、

祈りを捧げる事、

麻縄を掴んで鈴を鳴らす事、

それら一連の祈りを捧げるという行為自体は、何ら変わる事がありません。

 

小銭を投げ入れる行為がない!

小銭のチャリーンとした音が聞けない!

無礼だ!神様に届かなそう!

といった不満もあるかと思いますが、寺院への参拝と賽銭を1つの儀式と考えた場合、

スマホ決済によりもたらされる破壊は、それ程無いように感じられます。

 

よって、どうしても小銭を投げ入れる方がいいに決まっているんだ!

といった場合、重きをなしている事は、祈りを捧げる事ではなく、

賽銭を投げる行為だけが重要だという事です。

自分の気持ちを確かめる為にお参りする

それでもやはり、賽銭のスマホ決済反対をする人もいます。

寺院の盗難防止の役目もあるのですが、

長年の経験や風習は簡単に断ち切れるものではありません。

 

そこで、寺院への礼拝は何の為に行うものか?を改めて考えます。

 

御参りや礼拝は、何を祈る為に行う人が多いかと思います。

賽銭を投げて、麻縄を回し鈴を鳴らし、手を合わせて祈ります。

そして礼拝をします。

 

どちらかというと、賽銭を投げ入れた後の行為の方が、

重要な作法のようにも感じます。

 

僕はここ15年程、年末年始などのお参りには行っていません。

社会人になって以来、年末年始は、ほぼ海外や国内旅行へ出かけるからです。

 

また個人的に、僕は神頼みはしない性格です。

高校受験や大学受験、就職や税理士試験でさえも、

お守りを買ったり、お参りに行った記憶がありません。

 

神様はみんなに振り向くほどマメではないと、

そんな歌もありますし。。。

 

それでも、自発的にお参りにへ行った事もあります。

・いろいろあって最初の会計事務所を辞めた時

・会社員を辞めて引っ越す直前のこの3月

 

「新しい職場では今度こそうまくやっていけますように。」

「新しい場所で人生がいい方向へ向かうように。」

そんな都合のいいお願いは、当然していません。

 

お参りへ行ったリ理由は、お願いや祈りを捧げるのではなく、

全く先が見えない将来に対し、今の自分の気持ちを再度省みる為です。

 

気持ちが定まっていて、心にブレがないのか見極める為でした。

(そうはいうものの、先日まで税理士やめよっかなーと思っていましたが。。。)

 

日常、自分自身の自己分析って、なかなか出来るものではありません。

自分の心底にある本当の願望の正体は、普段は掴みにくいものです。

 

ネガティブ思考大好きな僕は、特にその傾向があります。

 

しかし、寺院でのお参り、礼拝といった神聖な場所では、

深く考えずに、自然に祈りを捧げます。

それこそが、目下、自分の素直な願望なのだと思います。

 

お参りというのは、お願いをするという行為よりも、

自分の今の思いを確かめる場であると考えています。

 

それが不変のままであれば、賽銭が現ナマであろうと、

スマホ決済であろうと、何ら問題がないと思えます。

 

また、敢えてどちらかにこだわる必要性も感じられません。

まとめ

賽銭のスマホ決済は、どちらかと言えば、寺院にとってメリットが強いようです。

メリットは、賽銭泥棒ですよね。

これだけ決済手段が増えると、様々な手段に対応していく必要があるので、

それはそれで大変なようにも思えます。

 

また、小銭よりもスマホ賽銭の方が、金額も奮発しそうですよね。

現金だと、何となく手持ちの1円、5円って感じがします。

 

次回お参りへ行くときは、スマホ賽銭を利用しようと思います。

今日の言葉

unanimous:満場一致

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