嫌な思い出だって忘れずに向き合いたい。自分の血や肉にしていきたい。
時々、以前時間を過ごした場所へ、ふと行きたくなる事があります。
そういうことありますよね?
昨日は有給を取り、ふと以前勤務していた事務所の側まで。
勤務先だった場所のすぐ近くに、僕に良くしてくれた顧問先があるため、
近状報告も兼ねて、ちょっと遊びに行きました。
(3時間半もマシンガントークをしてしまいました。。。)
退職したのはもう9年も前ですが、
当時の記憶というものは、今でも鮮明に覚えているんですね。
当時は、僕のサラリーマン人生の中でも、
一番辛い事や悔しい事が多かった時期です。
さて、そんな誰にでもある嫌な思い出。
どう向き合っていますか?
心が盲目にならぬように
目的地まではバスで行きました。
なんと!バスの切符を取る人などいません。
バスに殆ど乗らない僕だけです。
みーんなIC乗車券です。
さて、安倍川餅で有名な安倍川を越え、バス停を降りると、
目に飛び込んできたのが、青々とした山です。
冬の静岡は地形の影響により、殆ど雨は降りません。(当然雪も。。。)
そして、乾燥した青天が長く続く傾向にあります。
冬の暖かい日は、安倍川と緑の山が非常に澄んでいます。
勤務していた当時には気づきませんでしたが、
安倍川と緑豊かな山々の側で、僕は働いていたんですよね。
こんなに空気がいい環境の中にいたなんて。。。
人間、目下の状況においては、心も盲目になるものだと感じました。
嫌な思い出も忘れずにいたい
人間だれしも社会人となると、嫌な思い出ってあると思います。
いつも呑気な僕も36歳になり、人並みに胸が苦しくなる思い出が。。。
「そんな事は忘れてしまえばいい。過去を振り返る事は無意味だ。」
そんな正論で立派な教えもありますが、僕はむしろ逆に考えます。
自分が持っている嫌な思い出は、忘れることなく胸に刻んでいます。
1つの組織に属する場合、多かれ少なかれ、不特定人が集まるはずです。
学校と同じですよね。
自分と異なった感情を持つ、生身の人間の集団の為、
少なからず、他者同士の意見や相違、感情の衝突があります。
そんな時、他人の立場になって考えることを忘れてしまいがちです。
衝突した側のみならず、衝突された側にもその傾向が。
学校では「教員」という仲裁役が保たれていますが、
実際の社会では仲裁役はそうそういません。
みんな面倒に巻き込まれたくないし、他人の仲裁なんてまっぴらごめん。
金融機関に勤務していた時の、その傾向を感じました。
でも職員1人1人がお互いに関心があれば、
人間関係の多少のねじれは改善できるものです。
大人になって、組織内部でこじれた関係というのは、
修復が困難なように感じます。
周囲をみていても、自分の経験を通しても。
ただ、人と人との関わり合いは一生ものであるからこそ、
修復が効く衝突であれば、回復を図るべきだと感じます。
もしも今後、どこかの組織に属するのであれば、
そこで設けた人間関係は、良きものにしたいと思います。
まとめ
僕がお邪魔したお客さん、当時よく通ったパン屋さん、
時々入ったイタリア料理屋さん。
9年経っても、元気に営業していました。
むしろ当時より、何だか繁盛しているようでビックリ。
たまにはこんな日もいいなですよね。
以前と変わらず営業をしているって、素晴らしい。
引っ越す前には、今度は手土産をもっていこうと思います。