世代間ギャップ。所有したい → 体験・経験したいへの変化
先日、知り合いの洋服の買い物に同行しました。
セレクトショップへ足を運んだのは数年ぶりでした。
僕は同行でしたが、店内でゆっくり珈琲を飲み、50代の経営者の方と少しお話をしました。
この5,6年は特に洋服を買いあさったりはしていません。
時計やアクセサリー、カバンも興味はありません。
スーツなんかも量販店で9年も着ています。
経営者の方は、非常に驚かれていました。
最近の若者は○○世代、○○離れといいますよね?
僕はヤングではありませんが、まさか自分がそう言われるとは思っていませんでした。
50代というと、バブルを経験した世代です。
さて彼(経営者)が驚かれていた内容はわかりますよね?
その内容について書きたいと思います。
所有するという欲望
彼から言われたことは、
「カバンや時計は欲しくないの?」
「オシャレなスーツ、靴、洋服は欲しくないの?」
「自分が若い頃は、特に30歳超えてからはそれらを買うために、仕事をがんばったものだ」
まるでよくドラマで聞くセリフですよね?
彼が言いたかったことは、人は年相応にふさわしい洋服がある。
特に、ビジネスの場合はある程度の年齢になれば、それなりのスーツや服装をしなくては、信頼がもてないということでした。
また、自分達の若い頃は他人と差をつけるため、それらを所有したと。
ありがたい指摘です。
こういったことをスパッと言われると、自分の身なりを考えるきっかけになります。
事実、ほぼ事務所で内勤の僕は、ワイシャツやネクタイ、スーツや靴は結構無頓着ですが。
さて、そんな僕も若い頃、特に大学生の頃は人並みにオシャレしたものです。
バイトをして欲しい洋服を買ったり、バックを買ったり。
静岡では買えないビームスを、わざわざ東京に買いに行ったり。
それらの所有ということが、他人との差をつけるステイタスだったのかもしれません。
身なりというのは分かり易いですからね。
しかし、今はそれがしたいとは感じません。
世代間ギャップ
彼からは、
「物欲がないと日本経済は発展しない」
「君のような人が増えたら日本はどうなるのか」
と言われました。
確かにそういう考えもあります。
しかし、時代はバブル世代ではありません。
高度経済成長期でもありません。
日本は一応は、発展途上国ではありません。
労働や物欲や所有が、経済を押し上げる時代はとうに過ぎ去りました。
また僕自身がそうですが、給与がバンバンあがる時代ではありません。
若い方に限らず、中小企業の中年社員の給与は少ないですよね。
だからこそ、雇用者給与税額控除がまだ生きています。
限りがある賃金を、所有という消耗品に投じることが相応しくない時代なのだと思います。
もう10年位、若者の○○離れと言われますよね。
所有物はいずれ摩耗し、朽ち果てていきます。
そうであれば、必要最低の所有でいいというのは賢明な考えですよね。
身の丈にあわせるというのが適当です。
30歳くらいから、結婚してから、子供が出来てから、洋服や身なりに興味がなくなったという声はよく聞かれますね。
しかし、それは本当なのでしょうか?
所有→経験したいへの変化
「興味がなくなった」から、「他に興味が変わった」という人もいると思います。
よく聞きますが、所有したいという欲望から、経験したいという欲望の変化です。
社会人になり1人で生活をする場合、自分の給料ですべての生活資金を賄いますよね。
となると、手元に残るお金はそれほど多くありません。
しかも賃金の上昇は見込めない。
一体に何にお金をかけるのか?
趣味の自転車で日本中めぐることにお金をかける人。
日本中の知らない場所へ旅行へ行く人。
多くの海にダイビング、サーフィンを楽しむ人。
世界へ旅行へ行く人。
これらも所有なのだと言ってしまうと、所有なのかもしれません。
しかし、自分が肌で感じたことや目にしたものは、一生経験に残ると思います。
そこから湧きあがるアイデアや変革していく自分の思いがあります。
僕は大学生の時、お金をないですが時間がたっぷりあった時、もっと外国へ行けばよかったと後悔しています。
お金を貯めて、留学すればよかったと。
1つの組織に長年身を置くと、考えた方や脳みそが凝り固まってしまいます。
それが常識となってしまっていることにすら気付かないこも。
日本から外に出たことがない、ということも同じことなのかもしれません。
もしも若い方が多くの経験にお金を費やしているのであれば、日本の若者は素晴らしい、捨てたもんじゃないと大人が言うべきだと感じます。
まとめ
僕は銀行時代から時計をつけていません。
「時計ももってないの?」
と彼から驚かれました。
やはり持つべきでしょうか?
しかし、手を動かすのに邪魔なんですよね。